色んな事に関心が向いて、学ぶ事は良いとされます。
確かにそうですが、今では情報そのものはクリックすれば見つかるようになりました。
学ぶとは、情報収集や記憶を指しません。
知っている事と、出来る事、気づく事は違います。
知っているだけではあまり価値はありません。
シェアして、誰かの役に立てば良いです。
出来るならば、やって人のためにならないと意味がありません。
人を助ける力があるのに、隠してしまったら罪と言われてしまいそうです。
才能を使わないのは罪なんですね。
気づきを得られるのは素晴らしいです。
自分を教える事ができるからです。
また、気付いていない人に教えてあげられるからです。
だから単純に知っているだけのレベルはさほど重要ではありません。
時間をかけて広く浅く知る事は、自分の才能を深く掘り下げる妨げになるかも知れません。
時間をかけるべきは自分の才能です。
知れば知るほど知らない事を知る、そんな感じです。
色んな人が色んな情報をシェアしてくれます。
感謝な事です。
自分の知らない事を知ると、教えてくれた人を尊敬します。
自分の無知に恥じ入りさえします。
しかし自分の手の中にもすでに貴重なものがあるのです。
収集する事に集中し、自分の手の中にあるものに目をくれようともしないのはよくありません。
自分をよく知る努力をしなければ、今を生きていくのは難しくなるでしょう。
情報の洪水に飲まれてしまうからです。
「こんなすごい情報がある」「すごい人たちだ」
このくらいで済めばいいのですが…
「自分には無理だ」「自分には何もない」
と自己否定に向かいます。
そうではなくて、みんな自分のベストパートを磨いているだけです。
そればかりが並んでいると、みんながスーパーマンに見えます。
でも、みんな同じ弱さを持った人間です。
テレビに出てくる人たち、金持ちたちの方が、むしろ不幸に感じている、不安を感じているらしいです。
みんな恐怖を持ちながらやってます。
自分とは何者か?
その問いをするのはきついですが、もし答えが無いと言う人はこれを知って下さい。
神様は「あなたを神様の栄光のために造り、愛している」と聖書は教えています。