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Copa do mundo

5/17/2018

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​ブラジル=サッカー王国がW杯に優勝した時どうなってしまうのか?しかも27年ぶりに。

幸運な事に僕は1994年にブラジルに住んでいて、体験できました。
​狂った経済(ハイパーインフレ)と共に長らく自信喪失状態だった彼らに優勝がもたらしたものとは…?

ブラジルは27年間W杯の優勝から遠ざかっていました。ハイパーインフレに苦しみ、国民は自信を失っていました。そんな中でついに94年アメリカ大会で優勝できた時、奇しくも僕はブラジルに住んでいました。国を挙げて観戦すると言う状態に驚きました、誰も仕事しませんし、犯罪率ですら落ち込むそうです。

セントロ=ダウンタウンに人が集まって来ました。

W杯に優勝し、いい加減にトーンダウンしてくるかと思いきや、そこからセントロに繰り出しました。
よく渋谷などで日本のサポーターのクレイジーな騒ぎがTVで流れます。
あんなものではありません。

僕の住んでいたのは、日本で言うと名古屋のような都市でした。
そこでさえ、非常に広範囲に渡って人で埋め尽くされていたのです。
サンパウロやリオなどではもっと凄かったでしょうが、小さな市や村でも同様の光景が見られたはずです。

文字通りブラジル全国民がお祝いしていました…
サッカーの神様と言われるペレ以来、W杯の優勝から遠ざかっていたブラジルでした。
と同時に経済も低迷を続け、80年代からハイパーインフレに突入。
以来、国民の鬱憤は蓄積され続けていました。
それも長期に渡ったので、自信を失っていたかのよう。

長く続くトンネルのようなブラジルに救いがあるとすれば
​W杯優勝以外ありませんでした。
それは僕がみんなと一緒にTVで観ていて感じた、正直な感想です。

「これほどまでにサッカーと言うスポーツが心の拠り所なのか…」
​
僕はサッカーに対して全然興味がありませんでした。
でも、彼らの熱狂ぶりを観て、興味深くなったのを覚えています
当時ハイパーインフレのブラジルで、貧困層に救いはありません。
なぜならお金の価値が下がり続けるからです。
家族みんなで仕事してお金を合わせても、日毎の糧を買うのに精一杯なのです。
お金を貯めようとしても、ハイパーインフレが加速するので預金が目減りしていくのです。

だから洗濯機などの贅沢品を買うにも一苦労です。
多くの人にとって電話線の権利を借りる事すら、ままならない状況でした。
そこから脱出する唯一の方法はサッカーで成功する事でした。

F-1もブラジルも人気でしたが、それは金持ちしかできません。
貧困層でもできる唯一の事がサッカーでした。
ボールが買えなくても、布切れを縫い合わせてボールを作ります。

公園がなくても、路上でやります。
シューズがなくても、裸足でできます。

真面目に働いても何も解決できない…出資金もない、そんな状態で、のし上がるにはサッカーしかありません。
ストリートで遊ぶ彼らを見て、痛感しました。

​

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​

​彼らはお金がなくてもハッピーに暮らしていました。

しかし、自国について口を開くと非常に悲観的になります。
あらゆる資源が豊富であるにも関わらず、ラテン気質の腐敗政治によりお金が貧困層に回らずにいました。

「政治家は泥棒」

「国はあてにできない」

とりあえず今日は幸せに生きるように努めているように見えました。

​それがあまりに刹那的なので犯罪にも向かってしまうのでしょう。
将来に対する希望とか夢を持てない厳しい現実でした。。
とにかく自国の政治に対しては、絶望的な発言しかありませんでした。

​だからこそ…
​サッカーは世界で最もポピュラーなスポーツ…
​それが世界のトップクラスと言うことが、彼らにとって唯一の誇りでした。
日本人にとってもブラジルのイメージの一つは、「サッカーが強い」でしょう。

​でも、日本人の持っているサッカーのイメージと、彼らとは天と地と言えるほどの差があると思います。

誇りというより、僕の感想としては、もはや心の拠り所とも言えるレベルでした
94年5月にエースストライカーのロマリオの父親が誘拐されました。
犯人は8億円の身代金を要求、するとこんな展開に…

「父親を解放しなければ、W杯には出ない」

とロマリオが発言。


「それは困る…」

と、犯人は父親を解放しました。

泥棒や犯罪人たちも同じくサッカーを愛しており、W杯の方が重要だという国なのです。
友人の話によると、W杯の間は犯罪率が下落するとのこと。
悪人たちも皆、TV観戦するからだそうです。
全試合、僕が住んでいたミッションの食堂でみんなで観戦しました。
みんなで飾り付け、そして大量のポップコーン、コカコーラで応援です。
僕はよく分からないのですが、その頃にはもう何人かのプレイヤーは分かってきました。

ホマリオ、ベベット、ドゥンガ、レオナルド、ブランコ、と言った人たちです。
​なかなか点が入らず、緊張も混じり異様なムードになってきました。

どうしても勝たせてあげたい…
​

​もちろんみんなTVに夢中なのですが、それもまたすごい熱気というか入れ込みようです。
確か、30人以上(+子供達)で観ていたと思います。
単なる熱狂という言葉では言い表せないものでした。

単なる試合以上の感情があるのは間違いありません。
24年以来の優勝、しかも前人未到の4度目の優勝国になるのが目の前に。
これまでの鬱憤、全ての思いがのしかかっていました。

しかも得点の入らないままです。
​みんなの心は祈りに変わっていました。

僕もどうしても勝たせたい、勝って欲しい、「神様、どうか勝たせたあげて下さい。」と祈っていました。

延長戦にもつれ込み、それでも両軍点が入らずPK戦へ。
もう異様な雰囲気でした。
​最後にイタリアのバッジョがゴールを大きく外した瞬間…
​
​夢のようでした。

みんな泣いて喜んでいました。
何というか、彼らの気持ちが少しだけ分かった気がしました。

「よかった、勝てて本当によかった」

僕まで高まる感情を抑え切れませんでした。
​

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​一緒に1ヶ月TV観戦をする中で、彼らにとってサッカーとは何を意味するのか?が分かりつつあった僕でした。


「これで負けていたらどうなっちゃうんだろう?」

と想像もできないくらい、したくない程にみんなずっと騒いでいます。

「これがラテンの血か…熱いな」
​
みんなキチガイのように盛り上がり、それがずっと続いて楽しかったのですが…
日本人ならいい加減、そろそろ宴も終わるだろうと思った矢先

「HITOSHI,セントロに行くよ!」
​

​セントロ=ダウンタウンに行くと言い出したのです。
みんなが繰り出すので、僕だけ寮に残るわけにもいきません。
友達の友達のオンボロ車に、若者たちをぎゅうぎゅう詰めにし、発車しました。

それにしてもボロボロの車です。
日本の車検には決して通過できない、激しいスモッグを吐きながら、老体に鞭打って行きました。

​セントロに行くまで大変、熱狂、道路はもう混乱状態。
歓喜の混乱でした。
そもそもブラジルの交通事情はかなりラフです。

​サッカー同様、センターラインとか関係のない個人プレイのオンパレードです。
なのに、優勝してみんなハイになり、運転も普段以上にルースになっています。
そしてセントロに近くに従い、ものすごい渋滞となりました。
「これがブラジルか…これがラテンか」

を経験した瞬間でした。
セントロについたら、人の洪水でした。

セントロ全体が人で埋め尽くされて、身動き取れないくらいでした。

これまでのフラストレーションを喜びに変えて爆発した歴史的瞬間でした。
この感情の爆発はとてつもないエネルギーを生み出した(後で説明します)と思います。

少し動き始めたら、どこからともなく音楽が聞こえて、サンバを踊り始めました。

開放感丸出し、お互い優勝の喜びをわかち合い、言葉を交わします。
すれ違う知らない者同士が笑顔で、

「ブラジルおめでとう」

「4度目の優勝」

と挨拶しながら、歓喜の叫びをあげながら、動いていました。
本当に嬉しかった
​お祭り騒ぎ、恍惚感…

みんな日頃の貧しさを忘れて喜びに浸っているのが見えました。

W杯4度目の制覇はブラジルだけ、自分たちは世界の頂点なんだと。

「​TETRA CAMPEÃO(4度目の優勝)」

そう​みんなが叫んでいました。
世界的に最も人気のスポーツで、ブラジル人にとってはそれが全てでした。
失われていたチャンピオンの自信と誇りを取り戻せて良かったです。

​僕も本当に嬉しかったです。


そして奇しくも…
よく経済は感情によって動くと言います。
奇しくも、W杯優勝の7月に通貨がへアウに切り替わりました。

「さあ、どうなるかな?」

当初、みんな半信半疑でした。
過去に色んな手を尽くしたけれど、ハイパーインフレから抜け出せずにいたからです。
でも7月が終わっても物価は止まったまま。
​
そして8月も…
​

そして本当にハイパーインフレは止まってしまいました。
ヘアウ政策が良かった、とはよく聞きます。
でも僕が思うに、本当はW杯優勝の雰囲気がよかったのかな?と。

「自分たちは大丈夫だ」

という自信を与えてもらえたからこそ、ネガティブなムードから脱却する勢いがついたのだと。
振り返って、歴史的瞬間だと確信したのはそれもあります。
こんな事は誰も指摘しないかも知れませんが…

でも、文字通り国全体が熱狂的にポジティブなムードになる、それはものすごいエネルギーなはずです。
​その後95年、ゴールキーパーのタファレウがアトレチコ ミネイロに移籍しました。
​ベロオリゾンテのすぐ近くに来る、との事で会いに行きました。
何故か友達が練習場所を知っていて、一緒に写真を撮りました。

すごい人なんだろうなあ、と思っていましたが、結構普通に応じてくれました。

ブラジルのサッカー選手はクリスチャンが多く、彼もそうでした。

「神の祝福を」

​と挨拶しました。

何か誇れるものがあるか?何もないけど、サッカーだけは誇り。
という姿に応援したくなりました。
僕も色々思い出しながら、

「自分にとってのサッカーとは何だろう?」

と自問しました。
あなたはどうですか?

​個人のミクロレベルにおいても、低迷から脱却するには何かのきっかけが必要です。
でも、そのきっかけだけに頼っても弱いです。
単なる運や感情の高まり、一時のもので終わらせない努力が不可欠です。
​
やはり陰日向なく継続することです。
そして好きでないと継続は難しいです。
だから好きな事をとことんやる。

結果だけを求めるのではなく、プロセス自体を楽しむ事が大切です。
ブラジルサッカーは低迷期でも変わらず愛し続けました。

​やはり、愛することをとことん楽しむのが人生だと。
やり続けると、いつか必ず時が熟します。
94年W杯を振り返りながら、そんなことを思いました。
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