過ぎたるは及ばざるが如し、とはよく言ったものです。 良かれと思った親切が行き過ぎるとダメにしてしまいます。 娘の事も甘やかしすぎてはいけない、と思いつつもすでに時すでに遅しと思う事がよくあります。 ホームレスの人を助けてあげた時も、そんな事がありました。 教会の牧師は何人か助けてあげてましたが、大抵いい結末に至りませんでした。 僕もいい思い出がありません。 結局、生き方、考え方の違いなのでしょうか? こちらの接し方にも知恵が必要かと思いました。 親切な行為も相手をよく知らないと、行き過ぎになってしまいます。 助けが本当に必要な人と、実は少しばかりの物質的な助けが欲しい、など色んな人がいるようです。 相手に応じてあげないと無駄な親切になってしまいます。 過ぎたるは及ばざるが如し、です。 でもそれは親切だけではありません。 モーセの十戒の第10番目は、欲しがってはならないという戒めです。 貪欲も同じく、過ぎたるは及ばざるが如しです。 「もっと多く」は「物足りない」となってしまう、とティムフェリスは言っています。 自分が与える時だけでなく、自分が欲しい場合も適量を知らないといけません。 だから質を求める事が大切だと思うようになりました。 最初から質を求めてしまうと手も足も出なくなってしまいますし、適量というのもある程度経験してみないと掴めません。 手探りで進んで行ったあと、自分や相手が満足する位置を知る努力が必要です。 いずれ質にシフトしていく、という感じです。 何でも考えないとダメなんだなあと思いました。 自分に対する知識を増やさないと、限度がどこか分からないまま進んでしまいます。 中には考えなくても適量を知っている人もいます。 でも僕はそれが苦手です。 だから自分を知る必要があります。 こうしてブログを書く事も自分を知るための助けとなります。 でも難しいです。 自分の適量は人のそれとは違いますし。 自分だったら、という考えは通用しないと思うと他人との関わりをどうコントロール したらいいのでしょう。 人それぞれ違うのに、どうしたら? それは教則本やレッスンを通して思い知らされます。 どこまで与えるべきか、どこまで相手に求めるべきか? 線引きが非常に難しいです。 レッスンの場合、生徒との付き合いの長さに応じてよく分かってきます。 しかし教則本の場合、それができません。 となると、客層を思い切り絞り込む、限定する事で、自分の狙いを伝えられる人たちにだけ伝える、とします。 だから沢山売れるものを狙わないようにしています。 やはり自分や相手をよく知る、その努力が必要なのでしょう。
コミュニケーション能力を高めたいなあと思いました。 コメントの受け付けは終了しました。
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