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11/16/2018

 
過ぎたるは及ばざるが如し、とはよく言ったものです。
良かれと思った親切が行き過ぎるとダメにしてしまいます。
娘の事も甘やかしすぎてはいけない、と思いつつもすでに時すでに遅しと思う事がよくあります。
ホームレスの人を助けてあげた時も、そんな事がありました。
教会の牧師は何人か助けてあげてましたが、大抵いい結末に至りませんでした。
僕もいい思い出がありません。
結局、生き方、考え方の違いなのでしょうか?
こちらの接し方にも知恵が必要かと思いました。
親切な行為も相手をよく知らないと、行き過ぎになってしまいます。
助けが本当に必要な人と、実は少しばかりの物質的な助けが欲しい、など色んな人がいるようです。
相手に応じてあげないと無駄な親切になってしまいます。
​過ぎたるは及ばざるが如し、です。
でもそれは親切だけではありません。
モーセの十戒の第10番目は、欲しがってはならないという戒めです。
貪欲も同じく、過ぎたるは及ばざるが如しです。
「もっと多く」は「物足りない」となってしまう、とティムフェリスは言っています。
自分が与える時だけでなく、自分が欲しい場合も適量を知らないといけません。
だから質を求める事が大切だと思うようになりました。
最初から質を求めてしまうと手も足も出なくなってしまいますし、適量というのもある程度経験してみないと掴めません。
手探りで進んで行ったあと、自分や相手が満足する位置を知る努力が必要です。
いずれ質にシフトしていく、という感じです。
何でも考えないとダメなんだなあと思いました。
自分に対する知識を増やさないと、限度がどこか分からないまま進んでしまいます。
中には考えなくても適量を知っている人もいます。
でも僕はそれが苦手です。
だから自分を知る必要があります。
こうしてブログを書く事も自分を知るための助けとなります。
でも難しいです。
自分の適量は人のそれとは違いますし。
自分だったら、という考えは通用しないと思うと他人との関わりをどうコントロール
したらいいのでしょう。
​人それぞれ違うのに、どうしたら?
それは教則本やレッスンを通して思い知らされます。
どこまで与えるべきか、どこまで相手に求めるべきか?
線引きが非常に難しいです。
レッスンの場合、生徒との付き合いの長さに応じてよく分かってきます。
しかし教則本の場合、それができません。
となると、客層を思い切り絞り込む、限定する事で、自分の狙いを伝えられる人たちにだけ伝える、とします。
だから沢山売れるものを狙わないようにしています。
やはり自分や相手をよく知る、その努力が必要なのでしょう。
コミュニケーション能力を高めたいなあと思いました。

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