ミニマリストが、最少のモノ、コトから最大の恩恵を得ようとするのと同じです。
しかし、なぜその考え方が正しいと言えるのでしょう?
例えば、単純に大好きなモノに囲まれれば幸せになれる、と言えるでしょうか?
そして量に比例して、幸福度も上がるでしょうか?
答えはノーです。
そこにはコストがかかるからです。
沢山のモノを所有すると、メンテナンスの時間と労力、お金も増加します。
スペースを費やし、圧迫されます。
大好きとはいえ、多くなればなるほど、一つ一つのモノへの愛着は減ります。
幸福感は頭打ちになります。
コストには短期的、長期的なものがあります。
僕の経験の1つを紹介します。
シドニーで週末やっていた、音楽の演奏の仕事についてです。
ではまずその短期的コストから…
ギターの演奏の仕事をシドニーで始めた時、嬉しかったです。
仕事が増えると、会場が、ギャラが、メンバーがとか、考えるようになりました。
増えれば、増える分だけ幸福感は増幅しません。
なぜでしょう?
コストがかかるからです。
リハーサル、会場へ向かう時間と労力、メンバーとのトラブルも増えて行きます。
最大の幸福感を得るには、量を増やし続けても駄目なのです。
では長期的コストは?
因みに僕は日本に帰国した結果、演奏の仕事はやめました。
父の面倒をみるために田舎に住んでいる事、娘が生まれた事が理由です。
夜な夜な演奏に出向くと、家族との時間が犠牲になるからです。
娘が生まれて、育児の大変さと喜びを知りました。
育児の重荷を妻一人に負わせてはいけないと思いました。
また娘の最も可愛く、あっという間に過ぎ去ってしまう日々を1日も逃したくないとも。
演奏の仕事が楽しくても、家族の時間の犠牲というコストは大きすぎます。
話はそれましたが、テクノロジーを使う時も同じです。
短期的なコストは?
少しの興奮と便利さと引き換えに、時間を浪費しています。
家族との団らん、恋人と過ごす時間、旧友との再会、ライブ…その瞬間を味わうためにお金を払い、時間を作っているにも関わらず、スマホに注意を引かれてしまうのはどうでしょう?
長期的コストは?
人間関係の低下はいうまでもなく、孤独になるでしょう。それ以外では、自分という資源の能力低下です。
絶えずスマホをチェックすると、集中力と持続力の低下を招きます。
また記憶力の低下も伴うでしょう。
カル ニューポートの「
ディープワーク」には、その事が指摘されています。
スマホ依存により、生産性がガタ落ちしているとの事です。
実は彼の新作「
デジタルミニマリズム」という本は、ディープワークを読んでからの方が、もっと現実味を感じるので、一読をお勧めします。
つまり、便利であるにしろ、コストは確実に支払わなければならないという事です。
そしてその便利さは、ほんの少しの手間を便利にするだけなのです。
それと引き換えに、大きな、本当に大切なものを犠牲にして良いものでしょうか?
自分を犠牲にして、テックカンパニーに収益をもたらしていいのでしょうか?
その策略にまんまとハマっていいのでしょうか?