以前シドニーで10年間、日本食テイクアウトの小さなお店を経営してました。 更地から作ったので費用がかかり、店の内装にかけるお金がありませんでした。 これじゃ全く誰の目にも止まらない、そこで何をしたかというと… クレイジーにラウドな音楽をかけました。 朝はゴスペルとか教会音楽で浄め、その後はジャズ系をかけました。 今では当たり前ですが、96年当時のシドニーでは珍しかったです。 それはマーケティング戦略でした。 というとカッコいいんですが、実はキッチンで作業する僕も音楽が聞きたかったから、でもありました。 忙しすぎてギターどころでない日々で、せめて聴いて耳を鍛えるしかなかったんです。 ウエスのソロを一緒に歌いながら働く10年でした。 それはいいとして… 販売に支障があるほどの大音量で、たまに苦情もあるけれどそのスタイルを変えませんでした。 マイルスのFour & moreのようなハードなのを良くかけました。 で感謝な事に店は繁盛でした。 超高速ジャズにせかされるように、売り子たちが超高速にお客をさばく… その姿は、少し殺気を帯びていて美しかったです。 それを眺めるお客も察して、素早くオーダー、お金を握りしめ、すぐに手渡せるよう、売り子達に気を遣うという…妙な緊張感が店を覆っていました。 お客様の人だかりにBGMの範疇をはるかに超えた大音量を浴びせ、待たせる…ちょっとしたサディズムだったかも。異様でした。 特にマルティーノのSunny、グラント グリーンのJan Janなど、それが顕著でした。 「レコードの針、飛んだか?」 「あれ?待たされて変な音楽聞かされて、俺おかしくなっちまったか?」 周りをちらっと見るなどして、 「呪われているのかもしれない…」 と動揺を隠せず、明らかに挙動不審な、微妙な人々を確認できました。 僕はそれをキッチンから覗き悦ぶという… 最初は、 「この店大丈夫か?」 「店長アタマおかしいんじゃないか?」 そういう印象だったかもしれませんが、そう思われる事が嬉しかったです。 敢えて疑問を抱かせ、微かな痛みや不快を加える、それで覚えてもらえるからです。 そのうちそれが気持ちよくなり、病みつきになると。 次第に聴き入る人が増えました。 足でリズムをとっている人など、その空間を楽しんでいる様子が分かりました。 ビジネスエリアだったので常連さんがほとんどで、色んな事を言われるようになりました。 「これ誰?」 「このCDジャケット見せて」 で、売り子が怒りながらキッチンに来て、 「ひとしさん、これ何?めっちゃ忙しいのに…」 と僕はCDジャケットをとって、お客に見せるとそれを眺めながら 「どこで売ってる?」 などと訊かれました。こんなやりとりは本当に良くありました。 しまいには売り子も良く訊かれるアルバムを学習し、自分で対処するまでに洗脳されました。 で、最も訊かれたCDは、ジャズではありませんでした。 小野リサのボッサカリオカという、ボサノヴァアルバムでした。 当時これはオーストラリアでは入手不可能でした。それを伝えると、 「Oh, no ~ !」 とみんな真剣に残念がってましたよ。 多くの分野でパーソナルスタイルの重要性が言われています。 流行りに飛びつくだけでは、短命に終わる。 みんなを喜ばせようとすると、インパクトが無く結局、誰も喜んでくれない。 スタイルが無いと誰にも覚えてもらえず、選んでもらえるはずもない… でも、お金をかけなくても工夫すれば、色々できるという話です。
ギリギリのところでやる…お客様の内側に潜む何かに届くには、普通にやっていてもダメですね。 狂っている、と思われるくらいがちょうどいいかと。 そしてそれを繰り返す、何度もなんども。 でも、今はスマホに魂を吸い取られた人たち、記憶力をクラウドに売ってしまった人たちが相手です。 僕が店をやっていた頃よりクレイジーにやらないと、見向きもされないのかもしれませんね。 さあ、クレイジーにいこう。 コメントの受け付けは終了しました。
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