「ガレージの片付けをしなきゃ」 面倒臭い仕事に苛立ちながら、休日を過ごしていた… 息子はずっと遊んで欲しくて、一人で庭で遊んで待っているのが見える。 幸せを求める事と、モノの持っている意味を考えると…皮肉な現実に気づいた。 「ここに積まれているモノは幸せをもたらすどころか、自分の時間を奪い、苛立たせている」 「そして向こうに、何にも代えられない息子が見える。オレと遊びたくてずっと待っている…」 Becoming minimalistのジョシュア ベッカーが、こんな体験談をよく話します。 モノが親子の幸せを奪っている現実に気づき、ミニマリストになったと言います。 所有物は本当に価値のあるものと、そうでないものがあります。 価値のないもの、ではなく負債といった方が正しいです。 なぜなら、それを保管するスペースの家賃を払い続けるからです。 埃を払い、移動させて掃除機をかけます。 「もう何年も使ってくれてない」とモノはメッセージを送ってきます。 「結局モノにできてないじゃないか」と積まれた教則本は自分を落ち込ませます。 「なぜこんなモノ買ったんだ?」と安物買いをした自分の愚かさに腹を立てます。 年間の家賃、掃除の労力、時間、精神的なダメージ、それら全てを合わせて、これから何年もその維持費を払いたいか? 誰もそう思わないでしょう。 でもそんな説明を聞かなければ、「だってもったいないじゃん」と片付けていたのでは? 維持費だけでなく、有意義な時間、幸せになるための時間、何にも代えられない大切な人との思い出すら奪う事になりかねません。 要らないモノを処分していく中で、自分が何に価値を感じているかが見えてきます。
モノに始まり、不要なコトやヒトも処分し、本当の自分の姿が分かるようになります。 それが一番の収穫だと思います。
0 コメント
返信を残す |