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Responsibility

5/27/2019

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昨日、教会で「自分が現実を作り上げた張本人である」と学びました。
そう言い切るのは辛いです。
全ての責任を負うわけですから。
ところが、その方が楽なのです。
負ってしまえば、次の瞬間「じゃあ、どうしたい?どうする?」と自分に問うだけだからです。
​「どうしたらいいんだ、何もできない」と混沌とはならず、前に進めるのです。
責任が他にある、とする場合、自分には何の力もありません。
事態が変わるのを、待つより他ありません。
だから全ての責任を負う方が楽だと言えるのです。
仮に何の関係も無い事でも、そうしてしまえばいいのです。
例えば、「天気が悪い、最悪な気分だ。ああ、俺のせいなんだ」と。
「最悪な気分に対して何が出来るか?」などと建設的な思考に移れるわけです。
「何の影響も及ぼせない」確かに天候に対しては無力かも知れません。
しかし、それに対する反応は自分のものです。
だから「全部自分の責任」にしてしまえば、次の瞬間、自分にできる事を見つけようと動き始めます。
神様は「どうして欲しいのか?どうなりたいのか?どうありたいのか?」と訊ねています。
それに対する返答は、素直かつ具体的であるべきです。
そして神様は、「あなたの信じたようになれ」と言われるのです。
素直に良いことを求め、信じるべきです。
ひねくれて、ネガティブに考えるなら、そう信じている事になるからです。
どちらにも「信じたとおりになれ」という神様の法則なのです。
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