「神様はいる、そして僕を誰よりも愛してくれている」これが僕の信仰です。
こういう気持ちは親への気持ちと似ています。
また娘を見る時に、神様の気持ちが分かる思いがします。
信仰は信頼関係です。
両親への思い、娘への思いです。
妻と僕は一心同体という関係です。
命の源である神様がそういう方だからこそ、人間の中にもそういう感情があります。
その逆ではありません。
人間が神を造り出した、という人は本能を語る事が出来ません。
本能はプログラムだからです。
人間は神様と愛し合う関係となるために、プログラムされているのです。
だから世界中、いつの時代でも、人は神を求めるのです。
しかし宗教は人が造り出したもの、本物ではありません。
本当の神様がいるならば、自ら宣言して然るべきでしょう。
そしてそれこそが、はっきりと聖書に書かれているのです。
聖書は神様がある人たちを選び、インスピレーションを与えて書かせた書物です。
つまり神様が著者で、書いた人は書記と言えます。
「私が神だ、他にいない」
そしてその神様が同じく
「私の目にあなたは高価で尊い、私はあなたを愛している」
「私があなたを母の胎内で作った」
と言っています。
それを受け入れるか、どうかで人生が変わります。
受け入れれば、人生に意味が生まれます。
「自分はどこから来たのか?なぜ生きているのか?どこへ行くのか?」
この究極の3つの質問の答えはこうです。
「自分は神によって造られ、愛されている存在として生かされており、死後は天国で永遠に生きる」
これほどシンプルに人生は出来ているのです。
修行して悟りを開く必要はありません。
難行苦行も要りません。
神様の側で全て準備して下さいました。
ただ信じ受け入れればいいのです。