アメリカから帰国した後、しばらく日本にいて、今度はブラジルに行きました。
日系ブラジル人たちと、日本の教会で知り合い、ブラジルで何か商売したら?と誘われたのです。
小さな工場を営んでいた父も、当時バブルが崩壊した後、何か別の道を模索するのも良いと理解を示してくれました。
若くて無謀だったが、有意義だった
ポルトガル語も全く話せず、ビザの事も全く何も知らず、向こう見ずな性格だけを頼りに行きました。
今と違い、何の情報も無く、電話も無い家が多く、何も出来ませんでした。
結局ビジネスどころではなく、キリスト教のアメリカ人宣教師がやっているバンドに加入し、バスで演奏旅行する生活となりました。
それ自体は楽しく、僕も若かったので、刺激的な毎日でした。
日本の情報は無し、1994~95年はまだネット以前の時代、人から聞く情報だけが頼りであるけれど、ポルトガル語が分からない…
みんなに頭を下げながら、助けてもらう毎日でした。
しかし、そんな中でも、神様は良い人達を備えて下さり、何の不自由もしませんでした。
1年ブラジルに住んだのですが、そこで経験した事の重要さを今痛感しています。
完全にメディアから遮断された生活
メディアから完全にフリーという生活を、このスマホ社会で想像できるでしょうか?
この事はQに出会って、しかも最近になって強く思うようになりました。
ブラジルでの生活は、言葉も分からず、よってテレビや新聞、ラジオから完全に遮断されていました。
本(ポルトガル語の参考書や辞書は持ってましたが、使わず)や雑誌すら無い生活です。
持っていたのは、好きな音楽のアルバム数枚だけです。
「どれほど僕はラッキーな1年を過ごさせてもらったのか?」と。
どの会社からも、何の情報も刷り込まれない1年。
自分の目で見たものだけが全て、という世界。
自分で考えるしかない、行動するしかない、という環境。
確かに不便でしたが、メディアの情報を頼りにしない生活は可能でした。
その分、人との関係が濃密でした。
それは幸せな日々でした。
人間不信からの癒し
Qとの出会い、パート1の最後に、ポッドキャストで語ったように、アメリカで僕は人間不信になりました。
人に貶められると、誰も信用できなくなりますが…
アメリカの後、ブラジルの田舎の人々の温かさで、癒されました。
人に優しくされると、自分も優しい気持ちになるものです。
ハグとかキスとか、やたらと距離が近い、ラテン文化はアメリカのそれとは全く正反対でした。
アメリカも近いのですが、どこかドライで、日本人は見下げられている感じがどこかありました。
南米では、どちらかというと、日系人が白人やブラジル人を差別していました。
アメリカ大陸とは北と南で全く違うと知りました。
これは本やテレビで知ったのではなく、人々の中で彼らのように生活する中で経験した事です。
南米では、日本人は尊敬されています。
これは日系1世の農業への貢献と、2世の色んな業界での貢献によるものです。
おかげで僕は、どこでも尊敬され、歓迎されました。
洗脳が解けた
好かれると好きになるものです。
昔僕はアメリカかぶれしてました。
そして、白人には頭が上がらない的な、昔ながらの日本人でした。
でも、ブラジルの生活を通して、外人への考え方の間違いに気づいたのです。
「日本人はブラジルではこんなに尊敬されている。所変われば、全く違う待遇を受ける。アメリカ人に対しても堂々としていればいいんだ」
メディアの洗脳、「アメリカが何でもすごい、優れている(昔はそうでした)」的なもの、つまり「日本は敗戦国という後ろめたさ」から解かれました。
これも1年メディアフリーの生活、ブラジル人の温かさにどっぷり浸かる生活があったからこそです。
血肉でなく、霊的な戦い
わたしたちの戦いは、血肉に対するものではなく、もろもろの支配と、権威と、やみの世の主権者、また天上にいる悪の霊に対する戦いである。エペソ6:12
Qがいつも引用する聖書箇所です。
カソリックの文化が色濃く、色んな偶像があったりして、驚きました。
黒魔術が根強く、呪いをかけられた人の解放のために祈ったり、色んなものを見ました。
アメリカでも悪魔教があった事を知りましたが…
ブラジルの
僕が住んでいたミナス・ジェライス州では、土着のインディアンとアフリカからの黒魔術と混ざったもの、マクンバというのが盛んでした。
教会には、呪いをかけられた人が、解放の祈りを求めて訪れます。
いわゆるエクソシスト的な事をやる訳です。
礼拝中におかしくなってしまう人たちを、何度か見かけました。
そういう人達に「イエスの十字架の血の権威」によって祈ると、ある時は卒倒したり、変な事を口走ったり、解放されるよう祈ります。
女性が男のような太い声で喚きながら暴れるのは、最初見た時は怖かったです。
そういう症状が出た人は、解放された時に、覚えていなかったりします。
アメリカにいた頃から、霊的戦いは言われていました。
しかしブラジルに行き、もっと身近なものとなりました。
僕の日本での教会でも、霊的戦いはかなり強烈なレベルで語られていました。
今、QAnonが霊的な戦いと言うのは、それらのこわっぱ悪霊たちとの闘い以上のものです。
この世界を支配して来た悪魔、まさに終末的な戦いにも解釈する人もいるほどです。
でも、僕にはこれらの経験を通して、Qが言っている事は何の抵抗もなく、全くリアルなものなのです。
つづく
パート1はこちら
最後にブラジル時代の思い出、ポッドキャストを聴いて下さい!