ミルトン ナシメントは「ブラジルの声」と形容されるシンガーソングライターです。 初めて聴いたのは、アメリカに住んでいた頃です。友達のクリントがレコードやCDを聞かせてくれました。 最初はその声に違和感を覚えましたが、聴いていくうちに好きになりました。 曲も捻っているものが多いです。 僕が住んでいた、ベタニアというミッションの施設には、宣教師の家族たちが住んでいました。 その一人にテオというバイーア出身の黒人がいて、よく一緒に演奏に出かけました。 彼とは今もSNSでやりとりしています。 素晴らしいシンガーソングライターです。 その彼の部屋でオリジナルを聴かせてもらいながら、色々教えてもらいました。 「俺はコードはあまり知らないが、リズムが好きなんだ。バイーアの血だな」 といいながら、ブラジルのリズムがいかに豊富であるか見せてくれました。 ボサノヴァはあまり知らないからできないと言ってました。 「ところで、ブラジルの音楽はトン ジョビン以外に誰か知ってるか?」 「ミルトン ナシメント、トニーニョ オルタ、ジャヴァンかな」 「ミルトン ナシメントとトニーニョはベロオリゾンテ出身だぞ。妻のグロリアが大ファンだ」 と奥さんのグロリアも加わり、音楽のおかげで盛り上がれて助かりました。 それからしばらくして、ミルトン ナシメントがパラシオ ダス アルテスでコンサートをすると知り、弟とジュニオと行きました。 オーケストラとの共演で、ゴージャスなショーでした。 このショーはアイルトン セナの追悼コンサートだったそうです。(今日知りました) セナの亡くなった時、僕はブラジルにいて、国全体が喪に服している様子を目撃しました。 このコンサートは、96年に「アミーゴ」というタイトルでCD化されました。 もちろん買いました。 以前、このショーの動画を発見しました。 観ながら当時の思い出が蘇り、感動しました。 パラシオ ダス アルテスは、富裕層の住むエリアのまあまあ近くにありました。 僕はそのマンガヴェイラという高級住宅地が好きでした。 少し丘になっていて、街を見下ろせる美しいエリアです。 もしベロオリゾンテに永住するなら、ここに住むぞと。 実は当時のミルトン ナシメントの家はそこにあったそうです。(今はリオデジャネイロ州) だからショーはその丘を降りた先、車で10分先だったんです。 通訳仲間のブラジル人が、奇しくも同時期にベロオリゾンテに住んでいたそうで、色々解説してくれました。 ブラジルのミュージシャンの多くは知りませんが、好きなアーティストがたまたまこんなに身近だったとは。
テオやジュニオとの会話がなければ、ショーの事もわからずじまいだったでしょう。 「ブラジルの声」(これも今日知りました)を地元で体験できてラッキーでした。 コメントの受け付けは終了しました。
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