娘の部活見学に行きました。
僕の母校でもあり、入学式以来、授業参観、部活見学、すでに3度も訪れました。
いずれも嫌な思い出ばかり湧きあがります。
僕は83年に入学しましたが、当時は校内暴力とか、荒れていた…と言うか不良である事が流行っていました。
同じ事をすると安心する日本人は、ワルでもないのにその群れに群がりました。
僕はそれを極度に嫌悪する(死ぬほどカッコ悪いと思う)人間なので、群れる事は断固拒否しました。
そのほか、先輩後輩も阿呆らしいし、体罰、水を飲ませない鍛え方、全てが嫌でした。
野球部の生活は、毎日が苦痛だけでした。
やめればいい、と思うかも知れませんが、当時部活をやめると言う事は、「終わった奴」を意味するほど恥でした。
考えてみると、感謝だったかも知れない事を思いつきました。
あれほど極限にくだらない3年を過ごした事で、「自由」に対する飢え渇きを得たのです。
「こんなくだらない奴らといたら人生終わりだ」と。
こんなひどい言い方をしてしまい、悪いと思います。
でも、本当はみんなが悪いと言うのではなくて、この地方の文化が嫌いなのです。
三河地方は悪しき徳川家康の呪いが未だに根強いです。
とにかく我慢しろ、耐えろ、です。(これにはいいところもありますけど)
でも彼の政策は「生かさず殺さずがちょうどいい」です。
政府にとって脅威にならないよう、力をつけさせない生き方をさせるのです。
政府に従順であること、それだけを求められます。
個人の幸せなど微塵も考えさせません。
「自分だけ幸せになるなんてバチ当たりだ」と洗脳します。
これはトヨタ系に代表される文化として受け継がれてます。
誰も楯突く事が出来ない、病んでも、会社が悪いんじゃない、自分が悪いんだと思い込ませる…
死人が出ても、再起不能になっても、会社あっての社会だ、経済だと信じ込ませて。
「貴重な中学の3年間を返して欲しい」と悔しくなります。
子供なので何も分からず、先生やシステムの言いなりでした。
しかし海外を色々と見た後、こんな腐った時間を過ごす必要はなかった、と本当に後悔します。
人から何と言われようが、どんな屈辱を味わおうが、あのくだらない部活を辞めれば良かったと思います。
自分で自分の人生を選択すべきなのに、それを押し殺す事だけを洗脳するのです。
でも苦しむほど、自由の国、アメリカへの憧れは強くなって行きました。
アメリカ、ブラジル、オーストラリアで身についた事は、「自分の人生を生きろ」でした。
他人の期待に応える人生、見栄のための人生、そんなものは「生きている意味がない」と。
「好きな事をしろ」「自分らしくやれ」「自分の生き方を貫け」その精神が普通でした。
吹奏楽部の音楽室からは、我が家がよく見えます。
娘は部活が苦しくなったら、きっと我が家を見つめるんだろうなと思いました。
でも、今年から日曜日の練習は無くなり、土曜も半日のみとなり、もう苦しい部活では無くなりそうです。