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Latte

4/12/2019

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オーストラリアにはギリシャ移民が多くいました。
僕の店の隣にもギリシャ人のカフェがありました。
オーナーであるビルと、パートナーのニックにはお世話になりました。
僕のいた頃、1996〜2006年は色んなイベントがありました。
まずは98年の消費税の導入です。
いきなり10%でした。
オーストラリアは観光業や資源を除くと、ほとんど産業がなくスモールビジネスです。
そして多くが移民によるファミリービジネスです。
僕もその一人でした。
現金商売なので、売り上げを低く申告し、税金をちょろまかせる、というのが旨味でした。
しかし10%の消費税により、仕入れと売り上げのバランスにより誤魔化せなくなります。
消費税を導入し、そのぶん10%売り上げも増したかと言えば、変わりませんでした。
消費者は10%節約しました。
​結果、廃業に至ったビジネスが多かったそうです。
​うちはその煽りを受けつつも、売り上げが伸びていた時期だったので助かりました。
その時も、ビルやニックに色々尋ねました。
ニュースや新聞など僕は分からなかったからです。
でも「なるようにしかならねぇな」くらいだったと覚えてます。
シドニーオリンピックに先駆けて、スモーキングエリアが大幅に規制されました。
カフェなどでは全面禁煙となりました。
これは彼らには大打撃でした。
アメリカの規制に慣れていた僕にとっては、シドニーといい、ブラジルといい、遅れた国だと感じてました。
しかし消費税といい、やる時は本当に一気にやるんだな、と驚きました。
ソフトランディングなんて気遣いはありません。
朝のカフェで「朝食とタバコと新聞」という客を失いました。
怒りに満ちた表情で、望みをオリンピックに託していました。
「オリンピックで全て取り戻し、その後売却するぜ」と。
彼らは大規模なリノベーションを強いられました。
地主である鉄道局からの指示でした。
多額の借金を負ったはずです。
オリンピック時には観光客は一気に増えましたが、多くのオフィスが丸々2週間休みました。
ビジネス街なので、観光スポットもなく、ほとんどの人が素通りでした。
僕の店も客は普段より多く見えたものの、売り上げは変わりませんでした。
僕は毎日3回、彼らのカフェでラテをテイクアウトしてました。
「苦渋と焦燥」の二人を横目に、そそくさとマグカップを運んだのを思い出します。
「ちくしょう、何も変わらんじゃねぇか!」
いつもは色々と親切にしてくれた彼らですが、荒れていくのを悲しく見ていました。
しまいにはニックの叛逆もあったりと、パートナー解消となりました。
​最後はあるギリシャ人家族に、不本意な価格で店を売却し、ビルは去りました。
なんでも相談に乗ってくれた彼らと、そんな形で別れたのは辛かったです。
​でも彼らは店を20年くらい続けたと覚えています。
だからよくやったと思います。
新しいオーナーはコーヒー豆のブランドを「Segafredo」から「Lavazza」に変え、値上げし、マグカップを小さくしました。
確かにインフレが続いていましたが、僕が通い始めた96年はラテのテイクアウトは1ドル20くらいでした。
しかし10年後には、2ドルだったと覚えてます。今では3ドル以上するそうです。
それを考えると日本のデフレ地獄はどうしようもないほど、危篤な状況だと分かります。
僕の店も、少しずつ値上げをしてました。
そうしないとやって行けないので、恐る恐る上げたのですが、問題なく売れていました。
オーストラリアのカフェは、ラテンタイプのエスプレッソ系が主体です。(決してシアトル系などとは言わない)です。
2000年にオリンピックに合わせて侵攻してきたスタバは、無残に敗退し、ほとんど閉店し、国外追放(つまり国内の企業に売却)しました。
つまりファミリービジネスが巨大資本に勝ったのです。
コーヒーが好きな人はみんな知ってます。
スタバのコーヒーなんかより、ギリシャやイタリア移民のおっちゃんが作ってくれるコーヒーの方が美味いことを。
バイトの兄ちゃん、姉ちゃんが味も知らんと作ってくれたコーヒーなんて飲む気もしません。
コーヒーに全てがかかっているファミリービジネスの方がいいです。
​カッコだけじゃ、ダメです。
接客や雰囲気が良くても、コーヒーがまずけりゃ本末転倒です。
彫刻のごとく険しい顔、禿げ頭、長く伸びた眉毛、濃いヒゲ、ポロシャツからはみ出た白髪混じりの胸毛、フサフサの腕毛、ゴツゴツした分厚い手のひら…
なまりの混じった英語、やたらと繰り出すウインク、時に上機嫌、時に不機嫌、安物の腕時計と、必ずつけてるゴールドのブレスレット、ネックレス、褐色の肌。
完全に個人の意見に過ぎませんが、それが美味いラテの条件です。
​ビルとニック、そしてバリスタとして雇われていたイタリア人のアルドは禿げてはいませんでしたが、美しいラテを毎日淹れてくれました。
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