何も無い所から何かを作るのは、神様の業です。
人間が作るものは、何かを加工したり、組み合わせたり、または何かからアイデアを得たり…
創造的であるけれど、完全なる創造をしてるわけではありません。
話が上手な人も、小説家も言葉そのものを作ってません。
素晴らしい文章も、最小単位の単語に分解出来ます。
それら一つ一つは味気ない、または誰もが使う言葉に過ぎません。
どう使うか?に意味があります。
良い話し手、書き手、もしくは英語を話せるようになるには、単語だけを暗記し、書く練習をすれば良いでしょうか?
もしくは、セリフや文をコピーするだけ良いでしょうか?
それでは無理でしょう。
使い方を学び、自分で言葉を選び、接続する練習、実践経験を積む必要があります。
アドリブも同じだと思います。
マスター達は、スケール、トライアド、インターバルなどを作った訳ではありません。
それら一つ一つの繋ぎ方、使い方に個性が現れます。
だからすごいフレーズも、なぜ凄く聴こえるのか?
効果を生むポイントを理解出来なければ、コピーに過ぎません。
少し崩して使う程度しか出来ないでしょう。
それに前後の文脈が大切だと知れば、闇雲に覚えたフレーズを挿入出来ないと分かるでしょう。
僕としては、最小単位のパーツを自在に操れるようになりたいです。
いつどこでも、どの他のパーツとも繋げられて、感情を込められる、つまりニュアンスを加えられる…
即興というと、どこまでその場で作っているのか?という疑問があると思います。
言葉そのものを作っている訳ではない、覚えたフレーズを繋ぎ合わせているだけではない。
話したり、ストーリーを書く(やり直しが効きますが)みたいな事、つまりコミュニケーションそのもの、と考えています。