ダビデ王は今から3000年ほど前に、イスラエルの2代目の王となった人です。 イスラエルのヒーローです。 Davidはダビデの英語読みで、それほど人気があるという訳です。 本当に長く、苦しい逃亡生活の末、ダビデは王座に着きました。
そして国は安泰となりました。 定期的にまわりの国に軍を送り、制圧して行きました。 ようやく手に入れた成功、安泰な生活をダビデはエンジョイしていました。 自ら戦場にも出ず、昼寝をするほどの余裕の日々です。 そんな成功の頂点の時にこそ、落とし穴がある事をダビデを通して学びます。 昼寝から目覚めたダビデは城下から、美しい女性が水浴しているのを見つけました。 家来に訊ねると、兵士ウリヤの妻バテ シェバだと答えましたが… その女性を連れて来させ、寝てしまいます。 夫は戦場で戦っているのに、ダビデは王の職権を濫用してしまいました。 しばらくして、バテ シェバはダビデの所に来て、妊娠した事を伝えました。 ダビデは困り果て、隠蔽工作を考えました。 ウリヤを連れて来て食事をし、戦況はどうか?などと話しながら、酒を飲ませたのです。 それで「今日はゆっくり家に帰って休むが良い」と妻と寝る機会を作ったのです。 しかし忠実なウリヤは「皆は戦場にいます、私だけが妻と楽しむ事はできません」 帰宅せず、城壁の外で寝てしまったのです。 ダビデはそれを知り、戦場に戻る際に将軍あての手紙をウリヤに託しました。 「最前線に送り、ウリヤを討ち死させよ」という内容でした。 ウリヤは死にました。 ダビデは不倫の罪を隠蔽するために、殺人も犯してしまったのです。 これまで神様に忠実に歩んで来たダビデは、ついに神様との断絶を味わいます。 その罪をひた隠す日々が何年か知りませんが、しばらく続きました。 何もなかったかのように振る舞いますが、彼の心からは喜びが失せました。 その時の心境が詩編51編に綴られています。 ついに預言者ナタンが遣わされました。 「あるところに裕福な者と貧しい者がいました。裕福な者に来客があり、もてなすのが勿体ないと思い、貧しい者から唯一の所有物であった子羊を取り上げて、ほふりました」とナタンが言うと、 「そんな事をした奴は死刑だ、また4倍にして償わなければならない」とダビデは返しました。 「王様、それはあなたです」とナタンはハッキリ言いました。 そこでダビデはついに罪を告白したのです。 神様はそれを許して下さいました。 しかし、子供が死ぬ事と、自分の息子が白昼堂々とダビデの妻たちと寝る事、そして謀反を起こす事などが預言されました。 そういう罪の結果に苦しむ事となったのです。 そしてそれらはその通りに起こりました。 成功の絶頂にあった、ほんの数時間でダビデの人生は変わりました。 また逃亡生活となり、今度は実の息子に追われる身となったのです。 そしてその息子は戦死してしまうという悲しい経験もしました。 とまあ、踏んだり蹴ったりのダビデの人生なのです。 そんなダビデはなぜヒーローなのでしょう? 彼は罪を隠していた時以外は、神様と共に歩みました。 彼を見る時に、彼でさえあのような罪を犯してしまう、と自分に重ねる人は多いでしょう。 どこまでも正直に、リアルに描かれており、普通ヒーローならばこのような汚点は隠されているでしょう。 そこに人間の弱さと、神様の憐れみ、計らいなどを知る事ができます。 うまくいっている時ほど、足をすくわれてしまうものです。 そして転落して行くのです。 ダビデはそうであったにも関わらず、神様に忠実に生きました。 そういうリアルな姿が、歴史上の多くの人に共感と勇気を与えるのでしょう。
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