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Guitar

6/12/2019

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ミニマリストはモノに執着しない…そう言い切れるか?と思います。
執着があるモノもきっとあるでしょう。
中には本当に執着心のない人もいるでしょうが。
モノを「愛機」と呼んだりします。
​86年に購入したフェンダージャパンのテレキャスターは、33年も経ちます。
でもまだ愛機と呼べる状態になるには、時間がかかりそうです。
1971年製ギブソンES175は、93年にハリウッドで買いました。
少し「愛機」に近づいてきました。
それでもまだ自分の一部という実感がありません。
94年(確か)に買った、ヴァリーアーツ(ジャパン)のストラトは、教会で弾くには愛機と呼べる感覚に近いです。
自分のタッチに対する、ボリュームやトーンの「つまみ」と、エフェクトペダルのかかり具合、アンプの反応に至るまで、加減を調整できるからです。
これは僕だからこそ出来る事です。
これはまず「音のイメージありき」だからです。
それを表現するべく、ポイント踏まえた道具の使い方だからです。
僕の脳みそ「僕の音色の感覚」をそっくりそのまま持たなければ、不可能です。
このギターはブラジル、シドニーと日本で弾いてきました。
色んな人生のステージを共にしてきました。
思い入れもあります。
「ミニマリストはモノに執着しない」を僕も信じてきました。
​でも多くのミニマリストは、若い人たちです。
モノとの付き合いが30年以上ある人は稀でしょう。
「愛機」と呼べるほど、使い込み、魂を入れ、それでなくてはいけないモノ…
センチメンタリズムを度外視しても、自分のイメージを具現化するための「愛機」となれば、もはや自分の一部とも言えます。
だとすれば、そんなモノを所有する事自体、感謝になります。
25年とか30年以上付き合って、それでもまだ僕は「愛機」と言い切ってません。
そこに至る前に、モノとの関係が終わっているミニマリストが「執着はない」と言っているのかも知れません。
僕も以前は深く考えた事がなく、執着も感じてませんでした。
でもギターで考えてみると、長く付き合ってお互いをよく知り合わないと、到達できない境地があるのだと。
​僕の場合、感謝な事に将来的に「愛機」と呼べるようになるでしょう。
​なんだか夫婦のようです。
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