「お前ら小学生以下だ」
コンサルタントが呆れて吐き捨てました。
僕と兄は、彼と店のレイアウトのミーティングをしてました。
シドニーのノースショアのカフェで、秋(5月)の午後だったと覚えてます。
確かに当時の僕は小学生以下だったかも知れません。
本当に何も知らなかったのです。
お店を始めると言っても、何の経験もありません。
そもそもの話は、僕ではなく、ある方からの頼みでした。
それはブラジル滞在の最後の月でした。
「Oさんが、仁士にオーストラリアでお店をやる気はないか?と言ってるけど」
母に電話した時、突然こう切り出されました。
その時、僕は混乱してました。
「結局この1年何だったんだろう」
演奏する機会はあり、いい人たちに恵まれ、このまま暮らせば幸せです。
しかし、ビザはどうにもならない。
ビザの為に結婚するつもりはありませんでした。
「将来へのきっかけすら掴めなかった」
帰国準備に向けて頭の中が疑問だらけでした。
充実した楽しい生活でしたが、正直言うとすごく疲れた。
そんな中での打診でした。
「何それ?今度はオーストラリアかよ。わけわからん、お母さんごめん。今は何も考えられないよ、一度見に行ってから話そうよって伝えてくれる?」
ブラジルを去るのは悲しかったです。
演奏の機会と沢山の友達、少しポルトガル語も話せるようになった。
その先の可能性は未知数でした。
あれから住み続けたら、かなりいい人生になっていたのは容易に想像できます。
でもその道は閉ざされたのです。
より良い道が備えられていました。
当時は頭が混乱し、先が見えない状態でした。
でも神様は、僕がうなだれて日本に帰国しなくても済むように、一歩先だけ教えてくれました。
思い出を書くのはハイライトが多いです。
よかった事、失敗談など、読みやすいエピソードを優先して書いてます。
でも、真実はそんなにスッキリしたものではありません。
いつも先が見えない中、手探り状態のモヤモヤが根底に流れてます。
「なぜこれをしている?これからどうなる?何をすべき?どうすべき?」
その問いがずっと頭から離れません。
一人ぼっちの時間が多く、その度にそれらの問いが頭を占拠します。
そしてスマホ、インターネットもなかった。
情報はない、自分頼み、神頼みしかありません。
海外生活を通して、心の底を見る、と言うか真意を見つめる重要性を学びました。
「俺はここで何をしたいんだ、どうしたらいいんだ?」
とボーっと一人で部屋の片隅に座り込んで、悩みました。
でも、一人になればなるほど、一人じゃないと気づきます。
心の奥底を辿ればたどるほど、そこでも神様が共にいて下さる事を知りました。
次第に、悩み、独り言は神様との対話に変わります。
実は自分で何をしたいのかも分からない時もあるんですね。
考えれば考えるほど、迷ってしまう事もあります。
また何を優先すべきなのかも分からない時がよくあります。
何をしたい、何をすべき、どうしたらいい、どうすべきか…
そんな時は、神様に信頼し全てを委ねるだけです。
僕の知らない、より良い道を備えて下さっているからです。
その神様の導きに従うまでです。
僕の場合、聖書からその導きをもらう事が多いです。