オルタナティブニュース「Collective Evolution」(8月2日付)によると、2001年に、「ダーウィン主義への科学的異論(A Scientific Dissent from Darwinism)」というダーウィンの進化論に異議を唱えるステートメントが発表され、500人以上の科学者が賛同の意を表明しているという。
「ダーウィン主義は、ごまかしの説明でもまかり通った19世紀では興味深いアイデアでした。しかし、ダーウィンの時代の科学を学んだ我々は、複雑な生物学的システムを生み出す自然選択の能力に疑いの目を向けます。ダーウィン主義に有利に働く議論は今日でもごまかしでしかないのです」
そう語るのは、ステートメント賛同者の一人である英・コヴェントリー大学のコリン・リーブズ氏だ。別の賛同者である米・オハイオ州立大学のクリス・ウィリアムズ氏も次のように語っている。
「遺伝・代謝スクリーニングの分野で働く生化学者として、私は生命の複雑さに驚かされ続けています。たとえば、我々一人一人は、すべての細胞に60億個のDNAを持つ巨大なコンピュータプログラムです。そして、その細胞は受精卵から発展していき、極めて機能的な有機システムの中ですべてを結びつけるのです。遺伝学や生化学の外にいる人はほとんど気づいていないことですが、進化論主義者は、まだ生命の起源について実証的な説明をしていないのです。特に、最初に誕生した自己複製型の有機体における遺伝情報の起源については全く説明できていません」(ウィリアムズ氏)
僕も思春期に進化論を学んびました。
違和感を感じました。人間は猿から進化した。学校は正しいのか?じゃあ今まで学んだ宗教は間違いだったのか?テストでは不正解になります。親が正しいのか?学校が正しいのか?と悩んだ時期がありました。
それは辛かったでしょうね。
親や自分は変人なのか?とか考えたり。
でも進化だったら存在の目的が分からなかったり。
本当に悩みますよね。
ハイテクが十分にハイテクでなかった時代は、その理論が神に勝ったかのように広められました。
しかし、それは傲慢だったと分かりました。
科学の進歩により分かったのは、結局何も知らなかっただけと。
だからと言って謙虚になり、神を求める事もしません。
今やむしろ人間の傲慢は神の領域を冒しています。
クローンや獣とのハイブリッドや、トランスヒューマニズムなどです。
でも、これらも結局はノアの箱舟時代と同じ事をやっているに過ぎません。
あの時代も人間が神に反逆し、獣や堕天使とのハイブリッドを作った事により、洪水がもたらされました。
だからイエス様は終わりの時は、ノアの日のようだと言ってます。今日がまさにノアの時代と同じなんですよね。報道されてないだけで、極悪な行為がはびこっています。