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Empresa

9/25/2018

 
店を始めると言っても、そもそもビザの問題がありました。
そこで現地日系の代行業者に依頼しました。
最初に会社を立ち上げて、僕は雇われるという形です。
株主はOさんの会社と僕の家族です。
兄弟でやってましたが、ビザの都合上、名義が最初はややこしい形態でした。
Maruichi Australia Pty. Ltd.という会社名です。
小さな店なのに、3人(僕、兄、妹)も日本から雇うというのは不自然で、ビザの取得は難航しました。
結局最後まで、ビザの更新手続きは頭痛の種となりました。
ビザの取得が可能か分からないまま、話を進めるという極めて不安定な状態でした。
建築士と店のアイデアをやりとりと、弁護士とは店の賃貸契約の話を同時進行させながらです。
全て英語なので、大変でした。
少し話せる程度では全然太刀打ちできず、専門用語の嵐です。
そもそも飲食業や、建築関係、賃貸契約などの専門知識もゼロでした。
もちろんコンサルタントもいて、僕や兄とミーティングに参加します。
何度か旅行しましたが、はじめは周りの人たちが話を進めてくれたという感じです。
今はネットで情報が手に入ります。
しかし当時は情報がないので、色々と大変でした。
コンサルタントの人にちょっと訊くとチャージされてしまいます。
こちらとしてはどうでもいい会話…訊いてない事ですら、例えば下着などは日本で買うと良い、というような仕事外の会話の時間もです。
それは随分後になって請求書が来た時に分かりました。
いらん会話になったら、止めないといけないんだなあと。
でも何も知らないので、結局頼れる人はその人しかおらず、という感じでした。
今はそんな事はないでしょう。
当時は何も情報がなく、僕も無知で未経験だったので、色んな出費がかさみました。
最初に出した、日本側のコンサルタントの予算は、そもそも全く見込み違いでした。
​Oさんの会社も我が家も、追加出資を迫られました。
うちの場合、工場を売却した金もつぎ込みました。
それで家族みんなで力を合わせてやる事になりました。
業務用のキッチン器具についても全く知識がなく、旅行で行った時はいくつかの会社を訪ねました。
しかし異常に高かった、それだけ覚えています。
だんだん資金が減っていき、結局最後は中古屋で買いました。
そもそもまともに働いた事もないし、料理の知識もない。
シドニーの歩き方も全く分からないし、どこへ行くにも一日がすぐに終わってしまう。
そして何の進展も得られない…そんな状態でした。
そして日本に帰り、スーパーの惣菜部で働く。
でもそれは今考えると楽で、楽しかったです。
全て機材、設備が整っており、必要な食材も配達されるからです。
業者が遅れる事はなく、全てのオペレーションは狂う事なく機能していたからです。
一応見習いじみた事をしていても、向こうでどんな難しさがあるかなどは、知る由もない状態でした。
くどいようですが、そんな風にどれだけ大変か知らなかったのが、幸い?だったのでしょう。

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