90年代の始めに、南カリフォルニアのサウスベイ(リドンドビーチ)に住んだ時の思い出を書きます。
ネット以前の時代で、何の予備知識も無く降り立ったアメリカは、日本とはこんなに違うものかとショックを受けました。
この目で見て、体験した事しか書けませんが…とにかく驚きました。
アメリカはドリーマーの国
みんなにチャンスが与えられている、ドリーマーの国だと感動しました。
メンタル的な意味だけではなく、物価的にもそうでした。
気に入った事
- 物価が安い
- みんな自由に生きている
- 気候が信じられないくらい快適
嫌だった事
今回は良かった事についてシェアします。
誰にでもチャンスがある、貧しい人にも手が届くように、物価が安いのです。
90年、日本はバブル絶頂でしたが、アメリカの生活水準と比べると、足元にも及ばないと思いました。
個人を尊重する事とか、自由の素晴らしさを知りました。
その違いだけで、空気が全く違うのです。
空気を読めではなく、「お前はどう思っているのか?」と訊いてくれる国なのです。
お互いの違いを尊重し、違ってなければいけない事を学びました。
日本でアウトサイダーだった僕には、それだけでもパラダイスのように感じました。
色々と安かった
生活していて、物質面で良かった事を書きます。- 誰でも安いカレッジで勉強できる
- 運転免許証が$10
- CDが$10〜15
- ライヴ、コンサートが$5〜25
- ゴルフが1ラウンド$8〜10
- ガソリンが日本の4分の1
- リーバイス501(オリジナル)が$19
思い出してざっと挙げるとこんな感じでした。当時(90〜93年6月)の円相場は$1=107〜158円の間でした。その他、当時の日本と比較して驚いたもの- ラジオ局が死ぬほど多かった
- ケーブルTVが死ぬほど多かった
- セントラルヒーティング
- 乾燥機
- 店
- ATM
- 高校のテニスコートがタダで使えた
こんな感じで色々混ぜて書きます。
誰でも生涯勉強できる
僕はたまたま音楽を専攻しました。
音楽を学ぶ目的で渡米したわけではありません。
本当に音楽を学びたい人はバークリーに行くでしょう。でも経済的な理由や、様々な障害があるのも事実です。そんな人たちにも、激安で勉強できる環境がありました。コミュニティカレッジは、誰にでも学ぶ機会を与えてくれます。僕が学んでいた音楽科も、仕事しながら通うのが普通でした。
色んな人が来ていました。- フルタイムミュージシャンだけれど、理論を学びたい
- パートタイムミュージシャンでスタジオの仕事もできるようになりたいから、初見のクラスで学んでいる
- カントリーシンガーソングライターで、作曲のスキルをアップしたい
- 軍のバンドで演奏していたけれど、リタイアしたので演奏の場を求めて
- 教会の音楽担当の人が即興のスキルを深めるため
…など、20代〜60代まで様々でした。
誰でも行ける小さなカレッジですら、そういう人たちが結構いました。そんな学校が至る所にあるので、誰でも学びたい時に学べる環境なんです。みんな必要を感じて来ており、ハングリーでした。遊ぶ所、というイメージはゼロでした。
またこういう人もいました。- 基礎や一般教養の単位を安く済ませて、有名校に編入し卒業するため
- 主婦で学びに打ち込む時間があるため
免許証が$10だった
当時はたった$10でした、今は多分$35。「免許証は$10で取れるから、日本で取らんでいいぞ」と、渡米前に兄から言われてました。簡単な筆記テストを受けて、運転のテストだけです。生活に不可欠なので、簡単に受かるようでした。貧富の差が激しい社会では、高額な自動車学校など機能しないでしょう。交通ルールも、英語も分からない僕にとっては辛かったです。何とか筆記試験を受け、兄にテキトーに路上で運転を教えてもらいました。最初の路上運転試験では、3ポイントターンのやり方をすっかり忘れていました。いかつい黒人の試験官に睨まれ、軽く罵られ、うろたえたのを覚えています。
土地柄ならではのファッション
アメリカについてすぐ、兄やおばさんから注意されました。
「ファッションがダサい…」だの「ここではもっと明るい服を着なあかんよ」
と言われました。
ビーチエリアなので、みんなサーフファッションでした。
みんなカラフルなTシャツと半ズボン、ビーチサンダルという格好です。
それで、近くのサーフウェアショップで買いました。
ビーチエリアという土地柄、変かも知れませんが、普通の服屋さんとして機能していました。
Quicksilver、Gotcha、O'neilなどのブランドが、それほど浸透しているんです。
そこではジーンズも売ってました。
驚いたのが…
オリジナルリーバイス501が$19
「何だよ、こんなに安いのかよ」「日本、ぼったくりじゃねえかよ…」
とショックを受けました。
オリジナル501(アメリカ製)、紙みたいにぺったんこなやつです。
最初に洗った時に、10cmくらい驚異的に縮むやつです。
今ではあり得ませんが、オリジナルが最安でした。
履き込むと体に馴染むので大好きでした。
日本では80年代、8500円か8700円だったのを覚えています。
ディスカウント店では4900円くらいで、僕も高校時代に買ってもらいました。
オリジナル501は普段着の代表のような感じでした。
ファッションと呼べるものではありません。
ショックでした、単純にぼったくられたんだ…と。
僕にとって最初のブランドへの疑問となりました。
日本のイメージ戦略に乗せられないぞ、という芽生えです。
カジュアルすぎる人達
土地柄、堅苦しいのがみんな嫌らしく、超カジュアルでした。
学校にも(ビーチ)サンダルで来る人が多かったです。
お金があってもなくても、どうでもいい感じです。
日本みたいにブランドづくしの人はいなかったです。
僕が疎いだけかも知れませんが、ブランドのバッグは金持ちのおばさんくらいのものでした。
「みんな持っているから、これくらい持たないと恥ずかしい」
というのはありません。
みんな好きな格好をすれば良くって、それに学生はみんな貧乏って感じでした。
CD
ライブ
初めて行ったライブが、家から15分くらいにある、EL CAMINOカレッジです。カレッジコンサートは安くて、$5でした。フレディ ハバードのクインテットでした。確か、ジミー(テナーサックス)とパーシー(ベース)ヒースがいました。ジャズ初体験で、何が何だか分かりませんでした。カレッジで会った、クリント エリスという、友達が連れて行ってくれました。彼とは今も連絡を取り合っていて、アメリカ時代のたった一人の親友です。この動画はメンバーは違いますが、同時期のものなので良かったらご覧ください。
伝説のドラマー
エルヴィン ジョーンズが我がハーバー カレッジに来ました。それも$5だったと思います。当時うちの音楽科は、パーカッションアンサンブルに力を入れていました。ラヴィ・コールトレーンとサニー・フォーチューンがグループにいたと覚えています。ぐにゃぐにゃな感じに押し迫ってくる、恐怖に似た興奮でした。伝説のドラマーに会えて良かったです。
ジョン・コールトレーンのクインテットのアルバムを聴くと、あのいかつい顔を思い出します。
The strand
家から車で5分ほど走った所に、サパークラブ(レストラン兼ライブショー)がありました。THE STRANDというお店でした、もうありません。ジャズ、フュージョン系の有名な人たちが出演しており、よく行きました。チャージは$18〜25です。2回のショーに別れており、入れ替えする事もありました。
ラリーカールトンの地元なので、毎年観に行きました。家族や古い友達が来ていたようです。
サニー ロリンズをそこで2回観れて良かったです。
印象的だったのが、タック アンド パティでした。1stショーに行ったつもりが、アンコールがずっと続いて合計3時間立ちっぱなしで観た覚えがあります。立ち疲れましたが、お客に応えるサービス精神がすごかったです。マイルスの追悼バンド(60年代クインテット+ウォレス ルーニー)を観れたのはラッキーでした。チックコリア エレクトリックバンド、アルディミオラは、僕には良さがあまり分かりませんでした。その他にも色々と行きました。毎年、年越しはB.B. KINGのライブでしたが、$100もするので行けませんでした。
ゴルフが1ラウンドが$12だった
ゴルフは興味ありませんでした。
兄が好きで、強制的にやらされて苦痛でした。
夏休みなど毎日のようにラウンドして、次第に慣れました。
日本ではゴルフは1日がかりですが、そうではありません。
至る所にありますし、ランチやシャワーも不要です。
誰でも気軽にやりたい時にできます。
しかも安いのです。
1ラウンド$12くらいでした。
ハーフだと確か$7〜8くらい。
サマータイムか否かで時間が変わりますが、トワイライトタイムというのがあって、半額くらいになりました。
午後遅いのでハーフしか回れません。
ハーフの半額を払って、走って18ホール回れた事もありました。
毎日行ったというのは、半額で安かったからです。
でも仕送りの身なので、僕はしたくありませんでした。
日本とは違い、カジュアルなスポーツ
キャディなんてありませんし、カートも使いません。
ファッションがどうとか、全然気にしません。
ビーチウェアでも許してくれるコースもありました、さすがにサンダルはダメですが…
マーシャル(見回りする人)がいなければ、Tシャツを脱いでました。
後ろに誰も来てなければ、練習したり。
ちょっと洒落たコースでも、ポロシャツくらいでした。
学校の隣にもハーフコースがありました。
要するに、誰でも楽しめるスポーツです。
お金がなくても出来る、だから層が厚いのだと思います。
音楽といい、日本と大きな違いを感じました。
今の値段
検索したら
懐かしいのが見つかりました。
一番安かったコースでも今は$30(平日)、$40(週末)でした。
高額になってしまい残念です。
こちらが
値段表です。
少し洒落たコースが
こちらです。
パロス ヴァーデスという海沿いの丘の上にあり、海に向かって打つ感じが最高です。
値段を調べたら、安かったコースと同じでした。
西海岸に旅行に行かれるなら、絶対おすすめです。
残念ですが、亡くなった伊良部投手が住んでいたエリアでもあります。
こちらはカレッジの隣にある
ハーフのコースです。
ガソリン
日本の約4分の1でした。
燃費の悪いアメリカの車、広大な国です。
これくらい安くないと生活できないんでしょう。
当然セルフで何もかもやります。
日本ではおもてなしに慣れすぎて、いらぬところでチャージされているんです。
ラフでいいから安くしてくれよ、と思ってました。
今やセルフも定着しましたが、値段はまだ高いです。
ラジオ局が音楽ジャンル別に沢山あった
死ぬほどありました。
トップ40、クラッシック、ジャズ、フュージョン、カントリー、ロック、ヘビメタ、クラッシックロック、ラブソングなど…
CDを買えない(それでも日本より随分安い)人でも、ラジオでタダで楽しめます。
日本はFMだと音楽が多い方ですが、それでもトークがあります。
アメリカでは、ほぼ音楽だけという感じです。
ラジオで音楽…よく歌詞にでてくるのは本当にそれが浸透しているからです。
僕も通学時はラジオを聞いてました。
1号線P.C.H.(パシフィック コースト ハイウェイ)を走りながら、クラッシックロック(60〜70年代)のチャンネルを聴くのが好きでした。
今ではポッドキャストを聞く人が多いそうです。
音楽でなく、ドライブの時間を自分投資、勉強しているそうです。
新車には、ポッドキャストがデフォルトで装備されているそうです。
ケーブルTV
MTVはトップ40、VH1も似ているけれど、たまにジャズ系もやってました。
好きだったのは、TNTというカントリーミュージックのチャンネルです。
ESPNやFOXスポーツやアニメ、ディズニー、クリスチャンチャンネルもありました。
僕は言葉が分からないので、TVはあまり観なかったです。
セントラルヒーティング
南カリフォルニアは温暖で、暖房設備は不要だと思うのですが…
少し冷えたかなあと思うと、自動的に床壁が温まります。
臭いもしないし、安全です。
アパートですら完備されてました。
僕の家は灯油ストーブを何台もフル回転していたので、これには驚きました。
北海道では標準らしいですが、ようやく床暖房が普及しつつある日本です。
乾燥機
景観を損ねるので洗濯物を干さず、乾燥機を使うのが習慣でした。
アパートには有料のランドリールームがありました。
一軒家にも必ず乾燥機はありました。
ヘインズTシャツは乾燥機を想定されているらしく、干すと首元がダラダラになってしまうそうです。
店
ファーストフード、コンビニやスーパーなどは24時間営業が普通でした。
ドリンクはSでも日本のLサイズなのに、お代わり自由でした。
夜遅くは出歩かないよう努めてましたが、たまにそれらの店を利用しました。
色んなライフスタイルの人がいるんだと知りました。
それぞれのニーズに対応していてすごいなあと思いました。
ATM
90年にすでに、コンビニやスーパーにはATMがありました。
銀行に行くことは滅多になく、お金はそこで引き出していました。
当時は不景気でした。
$200ドル引き出そうとしても、マシーンに現金がないという事が度々ありました。
治安も悪く、ATMを利用する前後は緊張します。
ヤバそうなやつはいないか?まずチェックです。
出金してからも、車に乗るまで周りをよく見回しながら速やかに動きました。
比較的安全な所に住んでいても、警戒しました。
今思うと怖いです、守られて感謝です。
高校のテニスコート
近くのハイスクールでは、テニスコートが沢山空いていました。
勝手に使っても良く、よく兄とテニスをしました。
誰でも好きなだけ練習できる場所があるなんて…
日本ではコートを予約したり、お金がかかるので、すごいなあと思いました。
サッカーグランドが隣にあり、女子高生が練習していたのを思い出します。
当時サッカーはマイナーなスポーツでした。
女の子がやるスポーツだったのか、男子がやっているのを見た事がありません。
またの機会に
ランダムに雑多な事を沢山書いてしまいました、すみません。
記憶力が悪く、みんなに心配されるほどですが、細かい事ならあれこれありまして…
書き切れないので、またの機会にします。
兄や遊びに来た友人などの話を聞けば、もっと色々と思い出すでしょう。
田舎の若者には刺激でした。
もう一度最初に戻って、感動したのは…
誰にでもチャンスが与えられている
僕のいた南カリフォルニアは、誰にでも機会が与えられていました。
質の差はあります。
しかし、きっかけすら無いという事はありません。
とにかく色々と安かったです。
お金がなくても、十分楽しめます。
今の日本がデフレ続きでそうなのかも知れませんが…
アメリカは本当にチャレンジャー、ドリーマーのための国なんだ、と感動しました。
それが田舎者の僕の気づきでした。
やりたい事をする
日本は戦後から立ち直り、経済的に豊かになりました。
90年はバブル絶頂でした。
浮かれムードでしたが、当時の生活水準を比較すると、不景気だったアメリカの足元にも及ばない、と素直に思いました。
ひいき目なしにそう思いました。
お金がなくても色々な機会が与えられている事に驚きました。
自由に、自分の好きな道を行く、人生はそういうものだという雰囲気でした。
それはきっと僕の住んでいたのが、南カリフォルニアという事もあるでしょうけど。
人目を気にせず、思い通りに生きても許される…いや、むしろそうすべきという空気の中で暮らせた事を感謝しています。
たった一度の人生、やりたいようにやれるなら、やってみたいものです。
それも選択なのです。