大抵の場合、全体像、基本すら分からない…
何が起きているのかも分からない、分かっている人は少ない。
その中でも詳細を探り、行動する人はさらに少ないです。
健康が大事なのはみんな知っている
健康が大事だと、言葉ではみんな知っています。
なのに、何かしているかというと「何もしてない」と言う人が多いです。
それは「本当は健康は大事ではない」と自分の生き様で否定している事になりませんか?
中には、健康=商品と思っている人もいます。
健康になりたければ、健康になるサプリメントを飲めばいいとか。
野菜を食べる時間がないので、朝は野菜ジュース…みたいな。
あるいは健康=運動と思っていて、ジムに入会するみたいな。
それらは間違ってはいないと思います。
でも、もっと詳細に情報を探る必要があるのではないでしょうか?
外部ソースに頼り切る考え方は、雑誌やテレビの洗脳を疑うべきです。
商品を購入する事で、「その効能もすでに入手した」と思い込んでしまうのです。
でも、その商品も適切な使用方法を守らなければ、効果が得られないかも知れません。
あるいは、実は元々大した効能など期待できない詐欺商品という可能性も、ゼロではありません。
食品などは、謳ってある効能の陰に、別の有害な材料が含まれている事はよくあります。
僕は騙されたくないので、全てを疑うようにしています。
それにもっと身近にあるモノ、コトを使えるはずです。
情報も探せばいくらでも出てきます。
そうすれば、結局昔ながらのシンプルなものに戻る事が多いのです。
ベーシックなもの、少し手間がかかるもの…という感じです。
何が分からないのかすら、分からない
「何が問題なのかすら、分からない」これは現代の病のようです。
思うにテレビの情報操作が大きいです。
最近Qによって、覚醒する人が増えました。
しかし、よく調べ、自ら情報発信するとなると、ごく僅かとなります。
世の中が茶番である事は分かっても、そこから行動に移すには、色んな障害があるのです。
情報発信するには、ブログやポッドキャスト、youtubeなどがあります。
全部タダで出来るにも関わらず、不慣れな人にはきついハードルです。
書く、話す、見せる、いずれも勇気が要ります。
また継続するのも難しいです。
覚醒する人が増えるためには、人頼みではなく、発信する側になって欲しいものです。
しかしそれが難しいのもよく分かります。
だからこそ、簡単なツイッターから始めるといいです。
リツイートから始め、リツイートにツイートを加え、オリジナルツイートもするようになる…という具合にです。
そしてその中から良いツイートを集めて、自分なりの視点も絡めて、ブログ記事にまとめるといいです。
ポッドキャストは、要点を書いておいて、デモを何話か録音し、誰かに聴いてもらったりするといいです。
練習を積む事です。
youtubeも同じです。
何がどうなっているか分かった後は、行動に移したくなるのが自然です。
でも、漠然と「そうしたい」だけで終わってはいけないとも思うのです。
色んな障壁があり、それらを乗り越えるためには、全てを「出来る形」まで小さく分解するといいです。
時間を割いて考えれば、何が出来るか見えてくるでしょう。
大抵の場合、それらは単純な作業にまで落とし込めるのです。
後は習慣化するだけです。
「大事な事」が何か分かっただけでも素晴らしい…でも、それで終わらないで欲しいです。
何かをするには、簡単に出来る大きさに分解し、日々のルーティンにしなければ、「何も分からない人」ではありませんが、「分かった人」とも言い難いのです。
全て行動が証明するのです。
ギターも「基礎が大切」とは言っても…
ギターのレッスンをしていても同じです。
「基礎が大事」という言葉は知っていても、何が「基礎」なのかすら分からない人は多いです。
超基本的なパターン練習が「何のため」か分からないのです。
基礎を知識として学んでも、そこから詳細に分解し、一つずつ詰める作業に至る人は少ないです。
その必要性に気付けないからです。
時間を割いて、つまらない練習をやる意義を見出せないのです。
でも、その意義を知る人にとっては、決してつまらない練習ではありません。
むしろ楽しく、やりたくて仕方がないのです。
無機質なパターンに、タッチ、タイミング、音色といった有機質な何かを見ているのです。
またそこに一捻り、崩し、組み合わせ、といったキーワードで、あらゆる行き道の可能性を呼び込む意識を持っています。
結局、超基礎的なものに如何に精通するか?に尽きるのです。
その対極にあるのが、メディアの情報です。
「これをすれば、即この結果を得られる」的なうたい文句に踊らされるのです。
そんな子供騙しに乗ると、彷徨い続ける事になります。
でもそれが益々増加するのは、やはりそれが儲かるからです。
みんなすぐに結果が欲しい…ワンタップすればすぐにすごいテクニックがマスターできると信じているのです。
マーケターが、外部から何でも購入できる幻想を吹聴します。
間違ったアプローチは、アウトサイドイン。
良いのは、インサイドアウトだと考えてます。
だから僕は何でもまず自分で考えるようにしています。
残念ですが、カモにされていると気づくまで、迷路から抜け出る事は出来ません。
もし万が一、迷路から抜け出せたとしても、謙虚になるのは難しいです。
「何が大切か」気づく事が出来ても、詳細に分解し、一つ一つ潰していく作業をするのには、忍耐が必要です。
その地道な作業そのものに、愉しみを見出せる人だけが、メディアの呪いから解放され、自由の道に到達できると思います。
それは僕自身が身をもって経験した事です。
何でも出来るけれど、全てをする事は出来ない
無能な訳ではない、才能に恵まれていると考えるべきです。
でも一方で、あれもこれもやりたくなる悩みもあります。
問題はむしろ後者です。
感謝な事に今の時代は機会に溢れています。
学ぶ機会、繋がる機会、公表する機会…昔は無理だった事が、今では当たり前です。
だからこそ、何でも出来る気になってしまい、そしてそれ自体はいい事なのですが、突き詰めて考える事が難しくなってしまいました。
何より、魅力的な新しい話題が次々に現れるからです。
新しいプラットフォーム、新しい人脈、新しいアルゴリズム…
「遅れを取らないように」と思ったら、もう情報に溺れてしまいます。
「何でも出来る、でも全てをする事は出来ない」この言葉は、僕の好きなポッドキャスター、マイケル・ハイアットから聞きました。
この言葉は、僕が停滞する時に必ず思い出します。
だから思い切って、要らないモノを捨てるのです。
自分で選ばなくてはいけないのです。
そして選べば大抵の場合、物事はシンプルな方向へと流されて行くのです。
その時に僕は冷静さを取り戻し、コントロールを取り戻すのです。
今ももちろん停滞する事があります。
良い時、悪い時があります。
でも常に「シンプルに戻る」「シンプルを心掛ける」と悪くなる事はまずありません。
もし今、何か停滞してるなと思ったら、是非試して見て下さい。