「ひとしさんは何がしたいんですか?」
シドニーにいた頃、僕の店で働いていた子に尋ねられました。
ヒュンチョル君という、韓国人の大学院生で、脳神経外科(確か)の勉強をしていました。
僕は返答に困りました。
「ひとしさんと一度カウンセリングしたいです」
と切り出され、忙しい僕には少し有難迷惑でしたが…
折角専門家がアドバイスしてくれるならと、車の中で色々話しました。
「ひとしさんは、色んな事をしてますね。ビジネス、ギター、教会の事、英語もポルトガル語も話せますし…何が一番やりたいんですか?」
「うーむ、難しいなぁ…でもギターかな」
「じゃあどうしてギターに絞らないんですか?」
「だってビジネスの責任を負ってるし、ギターだけでやっていくのは大変だと思うし」
「本当にそうですか?」
クリスチャンでもある彼は僕の真意を探ろうと、こう尋ねました。
「死に対する問題が解決されてるなら、究極的な意味で勝利者ですよ。だから自分のやりたい事を選んで下さい」
僕は当時、疲れ果て、無感情になってました。
毎日問題なく過ぎる事だけが目標でした。
何をしてても、速く無事に過ぎ去ってくれと願うだけの日々…
効率だけを追い求めた結果、何も感じなくなってしまったんです。
だから真意を探ろうとしても、僕の心には沢山の層が覆い被り、硬く閉じていました。
最近になって思い出したのは、母の言葉でした。
音楽では食べていけない、まともな仕事につけと言ってました。
音楽好きは母譲りですし、コードトーンでソロをする事を教えてくれたのも、母でした。
色々学んでいると、最も近い人の言葉が邪魔する事がよくあるそうです。
もしかすると、無意識的に影響を受けてたのかなあと思います。
でも亡くなった母を責めるつもりもありませんし、自分の思考を変えるだけです。
今は時代も大きく変わりました。
仕事に関する考え方が変わりました。
色んな事が可能になりました。
自分の最も貢献できる事を知る、規模が小さくてもいい。
そこから始める。
人と違う事を選ぶ、同じ事をしない。
リスクをとる。
そういう事が大切だと知りました。
シドニーにいた頃は、忙しすぎて自分の真意が見えませんでした。
その後、どんどん削ぎ落として、人生がシンプルになり、残ったものが本心だと分かりました。
幸い、寿命が伸び、生き方や、これまでの常識そのものを疑うべき事も分かりました。
これまでのやり方では、これからではやっていけないとも。
ヒュンチョル君に感謝です。
その言葉はずっと耳に残っていたんです、面と向かって訊かれたらギョッとしますよ。
「あなたは何が一番したいんですか?」