アメリカにはブルースがあります。
アフリカから奴隷として連れて来られた黒人が作った歌です。
日本人にとって、あのもの悲しく、けだるく、臭ってきそうな感じは、違和感があるかも知れません。
奴隷といっても色々
奴隷は色んな時代、色んな土地で、色んな種類があります。
かなり自由もあり、裕福な奴隷もいたそうです。
聖書には、刈り入れの2割をファラオに収める事で、奴隷となったと書かれています。
収入のたった20%だけです。
今は色んな種類の税金があります。
全部合わせると、何%になるでしょうか…?
ある記事で、ローマ時代の奴隷の方が、日本の今の派遣労働よりもマシだった、と読んだ事があります。
つまり、奴隷という言葉がタブーとなっただけの話です。
実質的に奴隷のような生活を、強いられていると言えばそうなのです。
我々の同胞が奴隷のような身分となった歴史
日本人は奴隷となった事はありません。(政府が国民を奴隷化したと言えますが…)
とにかく、歴史的には、敗戦国となった時も、奴隷とはなりませんでした。
しかし、ほとんど奴隷のような身分となった人達がいます。
南米へ移民した人達です。
「天皇の頼みだから」とか、「海の向こうに夢の土地がある」、などと騙された人達です。
南米諸国との取引は、本当は一体どうだったのでしょうか?
単純に移民としてでしょうか?
それにより天皇は莫大な利益を得たのでしょうか?
僕は知りません。
戦国時代には、ポルトガル人を通して、
日本女性が売られていた話も、読んだ事があります。
「明治天皇あたりから天皇はすり替えられた」という情報は、よく見かけます。
そしてやたらと戦争を始めました。
色々踏まえると、我々が普通に教えられて来た事が、実は沢山の教えられて来なかった事実の上に成り立っていそうな気がしてならないのです。
では、南米移民の真相はどうなんでしょう…?
戦前だけで、
19万人がブラジルへ渡りました。
戦後には、7万人がブラジルへ渡りました。
奴隷のように扱われた日本人
1888年、ブラジルは奴隷制度を廃止しました。
奴隷に替わる労働力を必要としていたので、移民を受け入れたのです。
2か月の船旅の末、やっとブラジルに着いた日本人は、「新天地での成功」に胸を躍らせていたのも束の間…
いきなり奴隷のように、動物のように、手荒く扱われたそうです。
ブラジル人も、奴隷を扱っていた習慣が抜けておらず、日本人をどう扱えばいいのか、分からなかったらしいです。
最初、日本人はひどく虐げられました。
鞭や棒などで打ち叩かれた、と聞いた事があります。
そして夢の土地は、とんでもない僻地である事が多く、途方に暮れたそうです。
与えられた土地は確かにあっても、そこに辿り着く道がないという事も…
ジャングルの図太く、深く入り組んだ根が、邪魔をし、諦めるしかない状況でした。
ある人達は(確か)15km先の土地に辿り着く道を作るだけで、(確か)20年かかったと聞いた事があります。
その間に、マラリアにやられて死んだり、諦めて去っていく人もいたそうです。
しかし諦めずに、開墾し、今では大農場となりました。
祖国に騙されたけれど、日本人である事を誇りに思い、祖国への思いを忘れませんでした。
ブラジルのサウダージという言葉は、彼らにとってリアルなものです。
帰りたくても、帰れない現実、なぜ来てしまったのか?騙された…など
悔恨、郷愁、希望、焦燥などが、複雑に混ざり合う、サウダージなのです。
日本人は勤勉で、ブラジルの農業に多大な貢献をしました。
言葉が分からないので、肉体労働しか出来ませんでした。
それゆえ、2世、3世には教育に力を注ぎました。
そして弁護士、医者、政治家、エンジニアなど、出世する日系人が増えました。
また一方で、親の後を継いだ人達もいます。
それで日本人は真面目で、勤勉で、お金持ちというイメージが、南米にはあります。
かつては奴隷の代わりとして見なされていました。
それが今では完全に違うステイタスを得ています。
ブラジルで暮らした1年間、「日本人である事はすごく誇らしい事なのだ」と知りました。
これはアメリカに住んでいた時と、正反対の経験でした。
祖国でまた奴隷に戻る
ブラジルに住んだのは、94~95年にかけての1年でした。
93年にアメリカから日本に帰国した僕は、日系ブラジル人達の教会音楽を手伝うようになりました。
それで初めて日系出稼ぎブラジル人の存在を知りました。
彼らは3K(きつい、きたない、きけん)と言われる仕事に従事していました。
日本人がやらない仕事を、彼らがやりました。
しかし景気が悪くなると、真っ先にクビになりました。
景気が悪くならなくても、新卒を採用する4月や、年の暮れなどの節目に、調整されます。
80年代から94年の7月までブラジルは、ハイパーインフレに苦しんでいました。
反対に日本は80年代は景気が良く、3Kの人材不足でした。
それでかつて追い出した同胞を、受け入れる事にしたのです。
日本人がやらない仕事をさせました。
言葉が分からないのを利用して、待遇をごまかしたりしました。
それだけでなく、精神的にも酷い扱いをしました。
ブラジルでは日本人、日本ではブラジル人と呼ばれる
「想い焦がれたおじいちゃんの祖国にやっと来た」と思った矢先、同国民に酷く扱われてショックだったと言います。
ブラジルにいると、「ジャポネス」と呼ばれていたので、「オレは日本人だ」と誇りに思っていたそうです。
同時に、「ブラジルにいながらも、ブラジル人とはみなされてない…」という差別意識もあるそうです。
ところが日本に来ると、「ブラジル人」と呼ばれるのです。
「それがすごく悲しかった…」という人が多いです。
ブラジルの日系社会は、保守的な文化が残っており、混血を忌み嫌う人達も結構いました。
なので日系3世でも、完全に日本人の血だけという人もいます。
だから見た目は、完全に日本人です。
そしてそんな男女が結婚し、日本に来て、子供を産みます。
日本の学校に通い、普通に日本人なのですが、それでもブラジル人なのです。
ブラジルに一度も行った事も無いのに、です。
顔も心も日本人です。
邪悪だと思う
かつて日本が貧困にあえいだ時、人口を減らさなくてはなりませんでした。
元々そういう話でした。
彼らは国を救うために、志願して南米に行ってくれた愛国者達です。
しかしメディアでは、彼らの事を「一攫千金を夢見て、新天地へと旅立った人達」であるかのように、その部分を偏重して報道する場合があります。
彼らは「一時的であり、時が良くなれば、また日本に戻って来るつもりだった」と言います。
苦しい生活を強いられ、それも叶わぬ夢となりかけた時でした。
…出稼ぎ労働者として、日本に帰国できるようになったのです。
祖国に戻った彼らは、ブラジル人として扱われるようになりました。
工場では、外人だからと、言葉が分からないからと、騙されたり、危険な仕事をさせられたり、労災も無しに働かさせられたりしました。
指を切断しても、何もしてくれなかったりとか、色んな話を聞きます。
日本は美しい国というけれど、同胞に対する知識と理解がなく、かなり邪悪な国だと思います。
アメリカ人に対しては頭が上がらないけれど、アジアや南米に対しては、弱い者いじめ的な態度です。
アジアからの研修生と入れ替える
そのブラジル人も今や、日本で家を買い、永住する人が増えました。
子供も育ち、就職し、結婚し、家庭を持つ人も増えています。
しかし、生活に馴染めず、いじめられたり、不登校の子供たちもいます。
ドラッグがはびこり、犯罪も多く、かなり厳しい将来が待っています。
それに追い打ちをかけるように…
政府はアジアからの技能実習生をどんどん迎え入れています。
技能実習生には最低賃金を支払うだけです。
それでブラジル人たちは今、仕事を失っています。
バブル崩壊後、誰もやりたがらない仕事を引き受けてくれたのは、彼らでした。
忙しい時は休みなしで、暇になると真っ先にクビになり、雇用の調整弁として機能してくれました。
愛知の製造業、つまり日本の経済を事実上支えて来たのは、かつて日本が外に追い出した人達でした。
それが、今やそれよりも劣悪な条件で働く、ベトナム人等を迎え入れるようになりました。
ブラジル人が働く工場ラインを丸ごと、ベトナム人に替えています。
いつかツケを払う時が来る
日本は技能実習生という奴隷システムで、何とか持ちこたえているのが実情です。
それ以前には、かつてブラジルの奴隷として売り飛ばした人達を、引き戻して奴隷として使いました。
それより安い奴隷が見つかったので、取り換えたのです。
日本は人権を無視して金儲けをした、そのツケを必ず払う事になるでしょう。
南米移民のブルースを、日本人はよく知るべきです。
知らないところで、酷い事がなされて来ました。
そんな中で、唯一の救いは、彼らの身に沁みついたラテン気質です。
どんな時も、明るく、楽しむ姿勢です。
僕は彼らから沢山の事を学びました。