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Christmas

12/15/2018

 
「うちはキリスト教徒ではないから、クリスマスケーキは買わない。その代わり花祭りを祝う(お釈迦様の誕生日)」

という変わった家でした。
仏教、神道に熱心な家庭に育った僕は、11歳までクリスマスを祝う事はありませんでした。
朝夕、神棚と仏壇の前で正座し、45分くらいお経を唱えるのが習慣でした。
日曜日は神社仏閣巡りが多かったです。
習慣を守る事の大切さ、そして何かを信じる事の大切さを、教えてもらいました。
おじいちゃん、おばあちゃんと共にお経を唱える時、先祖の大切さを学びました。

「先祖の中に御嶽山の祈祷師もいた」

という事も知り、うちは筋金入りなんだという事も。
毎年恒例の千願経という、家のイベントすらありました。
それは、般若心経を千回唱えるというものです。
しかし仏教(東本願寺)と神道の両方をやっていて、混乱したのを覚えてます。
おじいちゃんが11歳の時に亡くなったのですが、大切な言葉を残してくれました。

「俺もよく分からんだけど、やっとるだ」

その言葉のおかげで、母が聖書の言葉を読んだ時に、それが非常に分かりやすく、回心しました。
僕は抵抗しました。
理屈は分かっても、これまでの習慣を変える事に抵抗を感じました。
日本人として先祖を大切にすべき、習慣を守るべきだろうと。
でも僕も、よく分からない仏教、神道より、子供の頭でも分かる、聖書の教えの方がよくなりました。
先祖を大切に思う事と、何かの教えを信じる事の区別がつきました。
誰かに聖書の話をすると、大抵好感を持ってもらえます。
シンプルで、誰にでも分かるからです。
自分がどこから来て、なぜ生きていて、どこへ行くのか?明確になるからです。
でも、頭や心ではいいと思っても、みんな色んなしがらみがあります。
だから一歩踏み込む勇気が持てません。
​それはよく分かります。
一方で多くの人が、分からないでやり続ける事の限界も感じています。
お墓とか、先祖の供養とかです。
家族の誰が責任持つのか、など深刻な問題です。
習慣とか義務でやっているとしたら、重荷に感じます。
そもそも供養が必要なのか?という質問はタブーのようです。
でも僕やおじいちゃんのように、色々疑問はあるでしょう。
一体何回お坊さんにお経を唱えてもらったら、極楽浄土できるのか?
南無阿弥陀仏と唱えるだけで、極楽浄土したのではなかったか?
お盆には地獄の蓋が開いて、戻ってくるというが、普段は地獄にいるのか?
​仏壇に先祖はいるのだろうか?
​それとも墓にいるのだろうか?
もし輪廻を信じる人であれば、今どこにいるのか?
いや、どこにいる訳でもなく、自分の心を先祖に向けさせるためのツールなのだろうか?
経済が悪くなって、なかなかちゃんとした供養や墓参りができずに、罪責感を持つ人も多いです。
​先祖に申し訳ない、と思います。
でもちょっと、先祖になったつもりで考えてみましょう。
景気の悪い中、必死で家族を養おうと頑張っている、孫や息子を見て、何かの祟りを下そうとするでしょうか?
​もっと供養してくれ、と思うでしょうか?
​誰もそんな事思いもしませんよ。
俺の事はいいから、頑張れと応援します。
お金に余裕のある人は、ちゃんとした供養や墓も守る事が出来ます。
今はお金に余裕のない人、忙しい人のために、色んなサービスがあるようです。
だからみんなそれぞれ出来る事をやろうと努めます。
これは先祖を思う気持ちが強い事の現れなのでしょう。
もしくはやっぱり何かやっておかないと怖い、という気持ちもあるのでしょうか。
クリスチャンの僕は、先祖を強く敬う気持ちで十分だと考えます。
事あるごとに、家族や兄弟と団欒し、先祖の話をし、語り継ぐ。
うちはそういう風に先祖を敬っています。
敬う気持ちがあれば、意識せずとも自然にそうなるのでは?
これは信仰の問題ではなく、気持ちや教育の問題です。
多くの日本人が宗教としてやっている事は、先祖を大切にしている気持ちを、何かの形で表したい、という意味に僕は感じます。
その気持ちはそれで素晴らしいです。
先祖を大切にする気持ちは素晴らしい、でもそれは何かの教えを信じるというものではなく、ごく当たり前の事をしているに過ぎません。
​
だから、どんな教えを信じているのか?の問いに対し、

「よく分からんけど、やっとるだ」

​となってしまうのではないでしょうか?
やはり何かを信じたいのです。
だから何か分からなくても、先祖を敬う事は良い事だから、漠然でも信じている、と言いたいのでしょう。
仕事でも、家庭でも、学校でも、目的を持つ事の大切さを説きます。
なぜやるのか?を知るのは重要だと、教わります。
ゴール設定を明確にします。
何をしているのか目的が分からない、それはだめだ!と言います。
しかし、人生の目的についてはどうでしょう?
自分はどこから来たのか?
なぜ生きるのか?
​どこに行くのか?
それらの問いに答える事は、来年、いや明日を生きるために非常に大切だと思います。
先祖を敬う事は当然の事ですので、ちょっと脇に置いて区別しましょう。
年の暮れは忙しいですが、立ち止まって考える時を持ちたいものです。
ちょうど都合よく、クリスマスにはそれらの問いに対する答えがあります。
答えを知って祝うのか、知らずに祝うのかには、大きな差があります。
今年はその答えの探求のために、本当のクリスマスを教会で祝うのはいかがでしょう?

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