一生懸命に書いていても、「なんだこんな当たり前の事…」と思って書くのをやめてしまいたくなる事があります。
でも、僕が読んでいて共感するのは、本質を突いている事で、それは大抵「当たり前」だったりします。
何か「すごい!」と思わせて、ちょっと突っ込むと「なんだ子供だましじゃん」というのは好きではありません。
当たり前を突き詰めると、本質が見えてきます。
僕の場合、それがギターの指板の構造でした。
そして誰も声を上げてないけれど、発信を始めました。
「人は変化を求めつつ、変化を嫌う」-佐藤可士和さんの言葉ですが、何とも言い得てます。
当たり前過ぎる事を疑って、「なぜだ?」と考え尽すと、そこから新しい地平線が広がります。
見渡す事が出来るようになります。
しかしそれをする人は稀です。
自分で考えるのは大変ですし、行動に移すと人に何と言われるか分かりません。
変化が面倒臭いし、変化が怖いのです。
逆を言うと、自分のこだわりで、「面倒」で、「怖い」けれど、やらずにいられない事なら、正解なのでしょう。
ただ、「怖い」と言っても、何が怖いのか?と自問すれば、答えは出てきます。
大抵の場合、「失敗して恥をかく」「収入が減る」程度なのです。
「やる価値があると自分が決めた事を、自ら始める事こそエクセレント」な人生だと、セス・ゴディンは言います。
その反対は、「人が決めた価値を、言われている通りに生きる人生」とも言えます。
つまり世間一般の生き方そのものです。
やる価値のある事があるか?と問えば、無いと答える人も多いでしょう。
でも、視点を変えるだけでいいと思うのです。
ミニマリズムなど全くそうだと思いませんか?