聖書は歴史上、何度も抹殺されようとしてきた書物です。
にも関わらず、毎年ベストセラーという驚異的な書物です。
色んな人がその信ぴょう性を否定しようと努めていますが、びくともしません。
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聖書の著者は神様
キリスト教の王道の解釈は、聖書は神様からのメッセージ、著者は神様です。
多くの人によって書かれていますが、彼らは書記なのです。
ローマ時代以前から、この教えの書物を、迫害し、消滅する努力がありました。
その後もずっと、今もなおです。
政治家、支配者、指導者、哲学者、科学者、思想家などが、何とか否定し、何とか少しでも信ぴょう性を疑わせようとしています。
しかし、聖書はその中で今もなお、いやこれまでにも増して、影響力を増しています。
聖書によると、「聖書は神の霊感によって書かれた」とあります。
聖書の真偽を問うのであれば、この聖書の言葉を受け取るか、否かとなります。
そして歴史がその言葉の正しい事を証明しています。
その中でなお、「神など信じても何の良い事があるか」という人たちがいる事も書かれています。
人の全ての言葉や行いが、神の前に記録されているとあります。
今後、さらにそれを信じる人と、そうでない人の違いを見る、とあります。
聖書撲滅運動
ローマ皇帝ディオクレティアヌスは、AD303年に勅令を出し、世界に存在する聖書を一冊残らず焼却し、聖書を持つ者を死刑にするよう命じました。
数年後、彼は完全に聖書を滅ぼし尽くしたと確信し、「キリスト教は滅亡した」と刻まれた記念碑まで造ったのですが、その数年後、AD313年キリスト教はローマで公認され、391年にはローマの国教にまでなったのです。
フランスのヴォルテール(1694―1778年) は、聖書を嘲笑してこう言いました。
「30年もたてば、聖書を読む人間など一人もいなくなるだろう。100年の後には聖書は博物館に飾られて、昔の人間はこんなものを読んでいたのだと、語られるようになるだろう」。
「今から40年の間に、こんな本を読む者が一人もないようにする」
と予告しました。
しかし、その50年後、彼が聖書の撲滅運動を広げていたその家が、聖書の出版社となったことは、よく知られた話です。
アメリカのニュー・メキシコ州の知事であり、学者であったルー・ウォレスは、
聖書に反対する本を書こうと考え、
二年かけてそのための資料を世界中から集めました。
ところが、調査すればするほどに聖書の真実性を裏付ける証拠が多く出てきて、
ついに否定しきれなくなり、彼自身がクリスチャンになりました。
ウォレスはそれらの資料を使って別の本を書きました。
それが、映画にもなった「ベン・ハー」です。
毛沢東の「文化大革命」の時代に、中国のキリスト教会は大きな迫害を受け、聖書は取り上げられて人々の前で焼かれました。しかし今日の中国で、聖書は滅びたでしょうか。
日本の教会に入ってくる情報によると、今の中国には「隠れキリシタン」ならぬ隠れ信徒が、かなりいるとのことです。
彼らの大半は、中国政府公認の教会(政府の言いなりの教会)には属さず、ひそかに家や森で集会(家の教会という)を持っています。
彼らの数は5千万人とも、1億人とも伝えられています。今も共産主義が続き、宗教や伝道の禁じられているあの中国ですが、約10億人いる人口のうち、十数人に一人はクリスチャンなのです。
彼らのもとには、日本や世界のクリスチャンたちが印刷した多くの中国語聖書が、送り届けられています。
神学というジャンルの学問として成り立っている
神学というジャンルの学問があり、神学大学が世界中にあります。神学は現代に始まった訳ではありません。神学校は、イエス様の生まれる前からありました。旧約聖書に、その事が書かれています。「預言者たちのともがら」という表現で、神の言葉(つまりモーセの書)を学ぶ人たちの集まりがありました。つまり旧約聖書のど真ん中に、すでに(ユダヤ教としての)神学があったのです。イエス様の時代にはすでに、神学が行き過ぎた感がありました。人間の単なる宗教にしてしまった学者達(当時のエリート)を、イエス様は痛烈に避難しました。つまり旧約聖書だけでも、すでに成熟した学問だった訳です。その神学のエリートだったパウロは、クリスチャンを迫害し、殺していました。しかしパウロは幻の中で、復活のイエス様と会い、回心しました。神学のエリートであるパウロは、旧約聖書がイエス様の影絵と知ったのです。イエス様が選んだ12弟子は、漁師とか取税人などで、神学とは無縁でした。教理としてまとめるには、神学エリートのパウロが必要でした。パウロも、ヨハネを除く12弟子も、殉教しました。ウソのためにわざわざ拷問を受け、死を選ぶとは考えにくいです。イエス様の復活を目撃した人たちは、弟子以外にも大勢います。もしウソなら一人くらい、「復活はウソだった」と翻る人もいたでしょうに。また迫害によって殺された人たちは、数え切れないほどいます。これはキリスト教会の黎明期から起きていました。最初の殉教者ステパノの記述(パウロが殺した)が新約聖書に記されています。そしてそのパウロが回心し、迫害に耐えながら各国に宣教し、最期は斬首刑で終わるのです。いまでは、約2000語(部族語や方言も含む)に翻訳されているらしいです。
ねつ造は無かったのか?
色んな解釈の仕方により、オリジナルとさまざまな翻訳バージョンに分かれています。
ねつ造は無い、という立場を取るのが、スタンダードな教会です。
しかし、全く違う意味で、ねつ造があるものは認めます。
キリスト教ではない宗教が使う聖書
エホバの証人(JW)、モルモン教で使われる聖書は、良く似ていますが、三位一体を否定するので、ねつ造された聖書と言えます。
ネット上は、これらの宗教の記事で溢れています。
道徳上、良い教えには違いないと思います。
しかし、その中に真実でないものを混ぜるのです。
そのやり方は、フェイクメディアも同じです。
聖書を学びたいのであれば
おすすめはスタンダードな聖書解釈です。
何がスタンダードかというと、聖書は聖書で解釈するというものです。
それが難しいので、教会の礼拝で牧師が分かりやすく説明してくれるのです。
でも、「教会に行くのは怖い」と思う人も多いです。
そういう方には、
聖書入門.comをお勧めします。
すごく分かりやすいです。