以前はたまねぎのようなソフトモヒカンの髪型でした。
最近、伸ばし始めて自然なセットにしてます。
歳を取ったせいか、髪が柔らかくなって収まりがつくようになって嬉しいです。
僕の髪は前に向かって生えています。
今ではそうするのが普通らしいのです。
80年代はみんな後ろに流していました。
僕の髪は硬くて太くて量が多いです。
当時はまだ子供で、カッコつけようにも、どうにもできず悔しかったです。
でも、時代は変わりました。
おかしなものです。
「今の若者はこんなダサい髪型するの?」とオーストラリアから帰国した時に思いました。
でも次第に僕の目も慣れて、髪の毛も柔らかくなってきて、やってみました。
すると、ダサいけれど、ナチュラルに決まるではないですか!
こんなに嬉しい事はありません。
ずっと求めていた自然派スタイルです。
娘以外はみんな「たまねぎの方がいい」と言います。
でも、生まれつきの生え方は変わりません。
だからそれを活かし、今のナチュラル派で行きたいのです。
できる限り自然派で、作らず、生きて行きたいです。
いい所も、悪い所も含め、自分を認めたいです。
間違っても、「誰それ風に…」などと思いません。
「自分は自分以外、何者でもない」からこそ、自然なクセも活かしたいです。
この歳になると、こんな小さな「持って生まれたモノ」ですら大切にしたくなるのでしょうか?
でもいい兆候かなと思います。
みんな「自分らしく生きたい」とか言います。
それなのに「誰それ風」を求め、甘んじます。
そうする事で安心を得ています。
それは偽りの人生であり、偶像崇拝です。
偶像=アイドルを慕うならば、真実に到達しません。
聖書の神様はあなたを「最高傑作」として造られたのです。
それを否定するわけです。
本物は自分しかいません。
自分を良く見ず、良く知ろうとせず、外観が少しばかり整った、ゲーノージンを慕うならば、「自分らしく」など無理です。
ゲーノージンなど、事務所が仕立てた虚構の存在=偶像です。
しばらくテレビで見かける存在であり、またしばらくするといなくなります。
自分と対峙する時間を持つ事、自分以外はみんな偽物だと知る事です。
自分は自分でしかないし、他人になろうとするのは間違いです。