80年代までは、もっと所有すればいい暮らしになるだろうという希望がありました。
アメリカに追いつけ追い越せ、追いかけている間は楽しかったです。
今はもうそんなに要らない、質を求める人が増えたと思います。
持ってみたけど、さほど人生変わらなかったと言います。
いや、持った結果維持するのが面倒だとさえ。
モノやコトも、ずば抜けて高品質、ハイブランド、もしくは激安に分かれていくようです。
僕の場合、少なく所有するとしても、(金が有り余るほどあったら)全て高品質にこだわりたいか?と言えば、今のところそうでもありません。
興味がない部分では特にそうです。
例えば、服など。
いわゆる高額なブランド物には興味ありません。
ロゴなどが威圧的なやつは特にです。
「大金払って、なぜ俺が彼らの宣伝をするんだ?なぜだ?」と思うからです。
自分を賤しめている気がするのです。
だから結構カジュアルなポロや、(ノスタルジーで)リーバイス501とかを好みます。
楽器も実はそこそこで構いません。
結構どこでも入手可能なものの方がいいとさえ思います。
なぜなら依存したく無いからです。
普通のギターでも長く付き合って、魂を注入していきたいです。
それが僕のこだわりです。
ボールペンも書ければいいと思います。
手帳もモレスキンじゃなくてもいいです。
髪型も安い床屋、靴もニューバランスで大満足です。
僕にはモノにこだわりはあまりありません。
僕みたいに考えない人は、与えられたものを消費するだけです。
だからそういうジャンルの人には、安くて良いものが流行ります。
でも、こだわる人たちが沢山いて、全てのジャンルは細分化されています。
その人たちの面白いこだわりに火がついて、大衆が巻き込まれる場合があります。
(80年代後半)コンピューターをいじるのは、オタクで少数派でした。
ああいうタイプには絶対になりたくない、と多くの人も言ってました。
その点、僕も大衆でした。
少し前はSNSも危険だ、何が楽しい?と言いながら今ではインスタ映えとか喜んでます。
フェイスブックもマーク ザッカーバーグというオタクの遊びから始まりました。
僕がビジネスをするなら、大衆を狙って激安で勝負するのは愚かです。
とにかく小さく狙う、それでも大衆を取り込むチャンスが無いわけでも無い。
なぜなら大衆は良し悪しが分からない、と知るべしです。
大衆はみんながやるからやる、それだけ。何も考えません。好きな事をする人に、同じ趣味の人が集まり、注目されるきっかけがあればブレイクしてます。
大衆はそれに煽られて踊ります。
だから大衆を狙ってはいけません。
たとえブレイクしなくても仲間と楽しくやっていけます。自分の好む場所、モノを選ぶ人が増え、大衆がだんだん小さくなってきたそうです。
自分の本音のど真ん中ストレートをぶち込む、そんなビジネスをするといいです。まあ人の求めるモノと交わる部分がそうなるわけですが…
でも、もっとアートのように捉えるべし、と
セス ゴディンから言われています。
アップルが話題になるのは、顧客にどのようになって欲しいかという強い望みがあり、それを実現させているからだ - セス ゴディン