シンプルな事に愉しみを見つけるのが楽しいです。
何でもない日々が特別になります。
そうするにはどうしたらいいか?せめて気分だけでもスローにするといいです。
急ぎ過ぎて、感じる暇もないのです。
ひたすら次へ、次へと動くのでは、感情がついてきません。
つまりマシンと同じです。
でも、少し話がややこしくなりますが…
マシンのようになるのが悪い訳ではありません。
むしろマシンのように何度も同じ動きを繰り返さなければ、余裕は生まれないでしょう。
そうではなく、マシンのように動いても次の事ばかり考えて、その瞬間を感じようとしなければ、本当のマシンになってしまいます。
ギターを弾くにも同じ事が言えます。
基本動作を何度も繰り返し、無意識に落とし込むからこそ、そこに感情を伴う余裕が出来ます。
その際、動きは極めて機械的でいいのです。
機械的で、自動的な動きであるほど、それをゆっくりやるか、もっと余裕が生まれた時に、その動きに工夫を加える余裕や、何かを感じ取ろうとする余裕が出来ます。
だから新しい何か、すごい何かを探し続けても、何かを感じ取る余裕まで辿りつきにくいのです。
日々の生活でも、やたらと急いで歩くクセがついていたりします。
それを疑ってみる事から始めるといいです。
「なぜこんなに急いでいるのか?」
時間には間に合うだろうし、早く着いたとしてもほんの数秒です。
でも急いでいると、視界も狭まり、周りにも無関心になり、心に余裕もありません。
ただゴールだけを目指していると、その瞬間を味わえません。
これでは生きているのか、マシンのように効率だけを自分に求めているのか、分からなくなります。
似たような事が、仕事でもいえます。
ただ金を稼ぐために、がむしゃらに働くのか?
日々好きな仕事をして、幸せを感じながら働くか?
がむしゃらに働きながらも、瞬間を味わえるか?
単調な仕事でも、そこに何か楽しさを造り出せるか?
気分だけでもスローにすれば、今まで感じなかった何かを感じ始めるでしょう。
楽しくなるのは、ほんの些細な事で十分だったりするものです。