リーバイス501は、50歳くらいの人にとっては憧れでした。 ジーンズ専門店でカタログをもらってきて、穴が開くほど眺めたものです。 アメリカのものが何でもカッコいいと思い、目標、夢となって行きました。 80年代は日本のピークの時代だったと思います。
アメリカには戦争では負けたけど、経済で追いつき、追い越せる、みたいな勢いがありました。 真面目に暮らしていれば、何もかも右肩上がりに成長するものだと信じてました。 85年にプラザ合意や日航機墜落事故があり、それがターニングポイントだったと言われたりします。 プラザ合意以後、急激に円高になっていきました。 アメリカの貿易赤字を修正すべく、という事で自動車業界に激震が走りました。 86年に高校入学した後くらいから、円高問題が学校でも語られました。 先生が僕の事を気遣ってくれたのを覚えています。 我が家はトヨタの孫請け零細企業だったからです。 円高は確かに父の工場に打撃を与えました。 しかしそのままバブルになり、すぐまた良くなりました。 その証拠に、好景気のおかげで僕と兄は留学できた訳です。 また円高のおかげで、¥8700円だったリーバイス501が、¥4200円くらいに値下がり、高1の時に母に買ってもらいました。 非常に硬い生地で、洗うと5センチ以上縮むやつです。 着込むうちに体にフィットしていく、オリジナル・ジーンズです。 ジッパーではなく、ボタンなので最初は慣れるまで時間がかかりました。 トイレでは通常より長く股間をゴソゴソせざるを得ず、隣人が気になったものです。 それでも僕にとって「オリジナル501」は、憧れのアメリカのシンボルでした。 実は中2の頃から、リーバイス505を愛用し、白のコンバースのローカットと、白のBVDのTシャツというファッションでした。 ブルース・スプリングスティーンや、ブライアン・アダムスが好きだったので、そういう恰好をしていたのです。 そしてナチュラルのフェンダージャパンのテレキャスターまで買ったりして、ちょっと書くのが恥ずかしいほど、かぶれてました。 「アメリカの方が何でも優れている」という空気があったように思います。 実際は、日本にも良いものが沢山あるのですが、当時はとにかくアメリカに追いつく事が目標だったのです。 でも、目標に向かって突き進んでいる状態は楽しいものです。 みんなが何となく、その目標、「経済で世界一になれる」で足並みが揃っていた感じです。 普通に就職し、結婚し、子供を作り、家を買い、定年まで働き、年金をもらい、土地が値上がりしているので、そのお金で何とかなる…みたいなパターンを想像できました。 未来は明るいもの、将来の心配は要らない、と誰もが思っていました。
2 コメント
宮木孝寿
1/28/2020 09:45:43 am
懐かしい!懐かしすぎる😭
返信
ひとし
1/28/2020 05:12:23 pm
懐かしいね~、また体を鍛えて、そういう恰好が出来るようにしたいなあ。
返信
返信を残す |