「テクノロジーが人を幸せにする訳ではない」 スマホ以前、インターネット以前の時代を知る人に訊けば、同意を得られるでしょう。 僕は昔から何も変わっていません。 テクノロジーは便利にしてくれただけです。
でも不便の中に生まれる感情、待つ時間に生まれる期待感が、現実より楽しみを増幅してくれる事実を知りませんでした。 テクノロジーは生活を味気なくしました。 「デジタルは摩擦が無い世界」と昨日書店で立ち読みしてたら、書いてありました。 「アナログの大逆襲が起き始めている」ように書かれていました。 人のぬくもりのするモノに、回帰したくなったようです。 わざわざレコードを聴くとか流行っているそうです。 レコードをセットし、回り始め、針を落とし、わずかなノイズの後に音が出てくる、スマホにはない、いわば儀式のようなものです。 ちょっとしたノイズ、間、目の前で回るレコード盤…そこに実際何かを感じるのです。 レコード針の摩擦はノイズを生みますが、デジタルは無音です。 そこにはただ、「量」「速さ」「便利さ」の追求だけです。 素早く選曲できる、沢山曲を詰め込める…そこに感情は生まれません。 考えてみれば、人生は大切な摩擦だらけです。 人との摩擦によって人格が研がれます。 命ですら強烈な感情と(セクシーな)摩擦から生まれます。 David Hoffmanという人の興味深い動画を途中まで観ました。 1979年の撮影で、当時98歳の女性のインタヴューです。 その中で1800年代の生活を知る事が出来ます。 強烈なのが、テクノロジーの発達と幸せについて、今と同じ見解なのです。 家族、コミュニティの温かさを懐かしみ、若者の価値観を憂いています。 これは単なるノスタルジーなのでしょうか?
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