今日は良い情報ばかりです。
嬉しいです。
どんどん攻めていきましょう。
全国民必読:目覚めてる庶民さんのTBS電話インタヴュー
TBSが電話取材で「ノーマスクピクニック中止」について、Twitterの「目覚めてる庶民」さんに質問しました。
彼は、これ以上不可能レベルな説明をして下さいました。
いつもシェアしている事を、理路整然と網羅してます。
感動です。
喜ばしい事です。
最後にTBSは「頭をぶっ叩かれた気分です」と残しました。
それはそう。
メディアの怠慢、傲慢は、我々の許容線量を超えてます。
その働き方は「陰謀の手先である」としか言いようがありません。
もし「そうではない」と言うのであれば、このインタヴューの本質を語るはず。
ジャーナリズムが存在するなら、できるはずです。
しかし現実は、株主のために存在しているだけです。
だからこのインタヴュー記事が、全国民に読まれるように、拡散すべきです。
テレビはこれを「聞きながら」「知りながら」何もしないのですから。
本当は僕も心の奥底で「これが報道されますように」と願ってますが…
「目覚めてる庶民」さんのツイートを、いつもこのブログで紹介して来ました。
本当に素晴らしい内容のインタヴューです。
もし僕だったら、こんなに上手く説明できません。
練習して備えなきゃ、と思いました。
そして更に嬉しい情報があります。
大橋教授とナカムラクリニック
大橋教授は、「コロナ不在証明」をしました。
その理論を誰よりも早く公開し、驚かせました。
Youtubeでは動画が削除されたり、攻撃を受けてます。
しかし、海外情報なども追い討ちをかけ、今ではかなり広まってます。
大橋先生のイベントに、中村先生が参加したそうです。
ナカムラクリニックの中村先生もまた、素晴らしい情報発信をしてます。
このブログでも、ツイッター時代からシェアして来ました。
中村先生は、いち参加者として会場に行きました。
しかし、そこに沢山の彼のフォロワーがいて、盛り上がったそうです。
更に、「字幕大王」の翻訳者の1人であるLihsiaさんもいたそうです。
みんな僕がフォローしている人たちばかりです。
下の記事を読んで、心が躍りました。
中村先生が書いているように、僕も1人でコソコソと作業してます。
時々メールやコメントを頂き、喜んでいます。
その世界はとても狭く、個人的なものです。
でも彼らクラスになると、イベントに人が集まります。
その光景が伝わり、多くの同士の声が聞こえて来ました。
「コロナの真実を拡散する仲間がこんなにいる」と嬉しくなります。
今必要なのは勢いや、仲間なんだと思いました。
PCR差し止め請求訴訟
名古屋市に住む、寺尾介伸(ユキノブ)さんと言う方が、PCR差し止め請求訴訟を、厚生労働省に対し起こしました。
原告と応援団で、合計7〜800人くらい集まっているそうです。
最終的には1000人行くかもという状態です。
医師からは、うつみん(内海聡氏)だけが参加だそうです。
彼のコンテンツからは高飛車な表現が目立ちます。
しかし、下の記事から、寺尾さんに対する気配りが、素晴らしいと思いました。
このように、色んな所で声が上がってます。
もっと人が集まり、テレビが無視できないほど、巨大になる事を願ってます。
フランク9200万人!
フランクというSNSが始まりました。
僕も登録しようと、何度も試みましたが出来ず…
一気に物凄いアクセスがあったようです。
更に、サイバー攻撃もかなりあったそうです。
何度もトライして、ようやく登録できました。
トップページの動画の視聴者は9200万人いたそうです。
これから数を伸ばしていくでしょう。
愛国者達が繋がり、世界中に情報が広がります。
その真実爆弾が、他のSNSにも投下されるといいです。
今のところ、使い方がよく分かりません。
少しずついじって行こうと思います。
聖書の学び
今まで聖書に対する迫害は、止まる事はありませんでした。
聖書を亡きものにするため、陰謀が企てられました。
そうであってもなお、聖書は固く立ち続けています。
聖書の言葉自体が、それを証言しています。
「すべての人は草、その栄光は、みな野の花のようだ。【主】のいぶきがその上に吹くと、草は枯れ、花はしぼむ。まことに、民は草だ。草は枯れ、花はしぼむ。だが、私たちの神のことばは永遠に立つ」(イザヤ40:6〜8)
今日まで、数え切れない人を救い、生かして来た、聖書の言葉です。
それだけでなく、歴史上の数ある迫害に打ち勝った本です。
つまり、人類史を通して証明済みの、たった1冊の本です。
それが僕にだけは無意味な本か?といえば、そんな傲慢な事は言えません。
これまで多くの人の悩んで来た事、救われてきた事は、僕にも通じる事です。
僕の悩み、問題は、いにしえから言われて来たものです。
何も特別なものではありません。
だから僕は謙虚になって、この本に聞くのです。
独り言
私の名で呼ばれるすべての者は、わたしの栄光のために、わたしがこれを創造し、これを形造り、これを造った。(イザヤ書43章7節)
人生の目的とは何だろう?
考えても、中々分かりません。
「僕がクリスチャンでなかったら、どう考えるだろう?」と考えてみたのですが、どうも思いつきません。
聖書にある通り、僕にとっての生きる目的は、神様が下さいました。
神様の栄光を表すために、生きてます。
普通、生きる目的と言っても、学校では教えてくれません。
学校で教えてくれるのは、進化論です。
生命はどう誕生したか?
偶然に過ぎないと。
無神論や進化論では、絶対的な生きる目的など無くても当たり前だからです。
その起源は偶然だからです。
偶然生まれ、死んだら終わり…
だとしたら、せいぜい楽しんで、死ぬまでいい思いを出来れば良い、となります。
嫌になれば自殺すれば良い。
偶然の産物なのだから…
愛する人に、悲しい思いをさせても、結局、みんな死ぬのだから。
全ては一時的、一過性の事に過ぎない。
だから、苦しまずに生きる最善の方法は、全てを受け入れる事。
そうすれば、心安らかに暮らせます。
そういう生き方もあります。
その生き方は引き算的です。
これが上手く機能する時があります。
特に不幸な事があった時は、全て受け入れると気が楽です。
執着しない事は、生きる知恵です。
ただし、それは自分がなぜ生きているか?の問いに対する答えにはなりません。
生きる目的となると、また違う話だと思います。
生きる目的というと、哲学的というか、大袈裟で、崇高すぎて考えるのも面倒な感じがするかも知れませんが…
生きる目的は、もっと身近な言い方をすれば、夢でもいいでしょう。
夢がないと、生きていてもつまらないです。
苦しみから逃れるには、何も執着しなければいい…けれども、それでは夢が無い。
そこで聖書の言葉を知っていると、全く変わります。
神様を信じる人は、「神様の栄光を表すために作られた」のです。
進化論でなく、創造論の場合、自分は神様の作品という考え方です。
作品の意味、意図、目的は、その作者に聞くのが一番です。
だから神様に聞くのが、一番いいのです。
そして聖書は、その問いについて明快な答えを与えています。
エペソ2:10「私たちは神の作品であって、良い行ないをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。神は、私たちが良い行ないに歩むように、その良い行ないをもあらかじめ備えてくださったのです。」
その良い行いは一体何なのか?
それは自分の心に尋ねるのが良いでしょう。
まず、何よりも大切なのは、あなたは神様の最高傑作であり、目的が与えられていると知る事です。
偶然存在するようになったのではありません。
自分の心に正直になる事、そして神様と共に歩む中で、これをすべきという思いが与えられます。
その事が、聖書に書かれています。
神は、みこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行なわせてくださるのです。すべてのことを、つぶやかず、疑わずに行ないなさい。新約聖書 ピリピ人への手紙2章13節~14節
僕は毎日の暮らしの中で、小さな事でも神様に話すように心がけています。
大きな決断の時はもちろんですが、日頃から神様との会話を持っています。
それを祈りと呼びます。
ですから、祈りとは神様との会話です。
自分の創り主に従い、その目的に沿って生きるのが良いと考えてます。
自分勝手に生きるのがいい、とは思いません。
それは的外れな生き方、となります。
自分のポテンシャルを知らず、勿体ない生き方となるでしょう。
ちなみに、聖書の罪という言葉の原語(ギリシャ語)は的外れです。
だから神様の的をしっかり射抜くような生き方がいいのです。
そこからブレないように生きる事が、一番良いと考えてます。
こんな考え方は初めて聞くかも知れません。
でも、上記の3つの聖書の言葉を知るならば、生きる目的は既に与えられているのです。
あまりにシンプルなので、「こんなに簡単でいいの?」と思うでしょう。
シンプルで、簡単です。
ただし、一人一人の具体的な目的は、聖書に書かれてはいません。
各自が神様との関係の中で、知る必要があります。
つまり、神様と仲良く暮らすのです。
その中で、知識、経験だけでなく、直感、信仰を使いながら、生きるのです。
神様は3つの言葉を与えて下さったので、間違いなく、個人的な目的も教えて下さるはずです。