QAJFの攻撃はリアルです。
Twitterが、アカウント削除しました。
第3次世界大戦のメインの戦場は、Twitterなのです。
Twitter Japanによる抗戦
エリさん、ママさん、ショパンさん、その他の方々も、アカウント削除。
これです。
復帰して、1ヶ月も経たぬ間に…
Twitterにとって、それほどの脅威。
真実を投下する人たちは、他にも沢山います。
何万人規模のアカウントも、野放し。
彼らは脅威に見做されません。
そういう人に紛れて、工作員を送り込めるからです。
敢えて放置、容認されてます。
QAJFの皆さんは復帰したばかりで、数百、数千の小規模アカウントでした。
特に今回は、「詐欺師、分断をもたらす工作員」の暴露に集中しました。
Twitterやその他の「狡猾な作戦の根元をえぐる」攻撃です。
それで堪らず、即削除したのでしょう。
今後彼らの情報は、他の人々によって、投稿され続ける事が予想されます。
Twitterが、どんなに削除しても、また削除しても、また出てくる…
モグラ叩き状態です。
実は、それが一昨年のムーヴメントでした。
悪者への致命傷に成功しました。
結果、大量のアカウント削除が、去年1月に断行されたのです。
今回、覚醒する人が増えたのは良かったですが、工作員や詐欺師に騙される人も増えました。
彼らを救う必要も出て来た時でした。
振り返ると、神の御心による介入?と思ってしまうほどです。
プロジェクト・ヴェリタスによる、FDA役員の暴露
結局は、今後もワクチンは継続されるようです。
しかも幼児から、全世代まで、毎年接種すると。
今の運動がどんなに善戦して見えても、彼らの予定は違うようです。
つまり、気を抜く事は出来ません。
彼らを完全に滅亡させなければ、だめだという事。
共産主義者トルドーは追い詰められる
かつての演説は、嘘だったと分かります。
共産主義者は、美辞麗句で騙します。
若者はそれに心酔、簡単に騙されるのです。
共産主義者は、大学教授を取り込むのはそのためです。
世間知らずの子供を洗脳するのに、絶好の場です。
しかし、今や動画で残ってしまいます。
どれほどの嘘をついて騙して来たか?
トルドーは国会でも、厳しく追及してされます。
まともな受け答えが出来ず、またその場の雰囲気も、完全にトルドーを罵倒する勢いなのが見て取れます。
彼の本性は暴露されました。
NZ、AU
ニュージーランド、オーストラリアも戦ってます。
ジャシンダ首相も、共産主義者の正体が暴露されました。
警察も軍隊も、言う事を聞かないのも分かります。
ラガーマンの国です。
国民が戦う気でいるのは、警察も軍も知ってます。
規制が憲法違反なのだから、従う必要もありません。
陰険なのは、オーストラリア。
デモ隊を取り締まるため、並木にマイクロカメラを、仕込んでました。
モリソン首相は、ワクチン被害を追及され、ついにあのセリフを言いました。
「接種は個人の判断」
義務化だの、努力義務だの、色々言っても、紙にサインしたら、それでおしまい。
彼らはそう主張します。
二分するマスク論
全国知事会が、「家の中でもマスク」と言い始めました。
一方、デタラメ中川会長は「子供へのマスクは慎重に」と言い始めました。
もしかすると、「子供には優しく、大人には一層厳しく」という作戦かも知れませんが…
マスクの害がもっと叫ばれるべきです。
マスクをやめれば、コロナムードは終了するからです。
PCRでDNA収集
マクロンの発言で、PCRの陰謀が暴露されました。
中国の機械でPCR検査をしていた事で、疑惑も浮上。
指紋どころか、遺伝子情報まで、中国に吸い取られた可能性も出て来ました。
聖書の学び
悪霊の束縛からの解放。
これは目に見える場合、確かに劇的で素晴らしいものです。
しかし、最も恐ろしいのは、実感もなく騙されている事です。
悪魔は、何もせずに人が騙され続けている事が、一番楽なはず。
普通の人が、悪魔の存在を知り、神様を求め始める事こそ、悪魔にとって一番の脅威なのです。
あなたが今、悪霊の影響なしに、神様を求めているとしたら、それこそが1番の奇跡です。
独り言
90年代の始めに、南カリフォルニアのサウスベイ(リドンドビーチ)に住んだ時の思い出を書きます。
ネット以前の時代で、何の予備知識も無く降り立ったアメリカは、日本とはこんなに違うものかとショックを受けました。
この目で見て、体験した事しか書けませんが…とにかく驚きました。
アメリカはドリーマーの国
みんなにチャンスが与えられている、ドリーマーの国だと感動しました。
メンタル的な意味だけではなく、物価的にもそうでした。
気に入った事
- 物価が安い
- みんな自由に生きている
- 気候が信じられないくらい快適
嫌だった事
今回は良かった事についてシェアします。
誰にでもチャンスがある、貧しい人にも手が届くように、物価が安いのです。
90年、日本はバブル絶頂でしたが、アメリカの生活水準と比べると、足元にも及ばないと思いました。
個人を尊重する事とか、自由の素晴らしさを知りました。
その違いだけで、空気が全く違うのです。
空気を読めではなく、「お前はどう思っているのか?」と訊いてくれる国なのです。
お互いの違いを尊重し、違ってなければいけない事を学びました。
日本でアウトサイダーだった僕には、それだけでもパラダイスのように感じました。
色々と安かった
生活していて、物質面で良かった事を書きます。
- 誰でも安いカレッジで勉強できる
- 運転免許証が$10
- CDが$10〜15
- ライヴ、コンサートが$5〜25
- ゴルフが1ラウンド$8〜10
- ガソリンが日本の4分の1
- リーバイス501(オリジナル)が$19
思い出してざっと挙げるとこんな感じでした。
当時(90〜93年6月)の円相場は$1=107〜158円の間でした。
その他、当時の日本と比較して驚いたもの
- ラジオ局が死ぬほど多かった
- ケーブルTVが死ぬほど多かった
-
セントラルヒーティング
- 乾燥機
- 店
- ATM
- 高校のテニスコートがタダで使えた
こんな感じで色々混ぜて書きます。
誰でも生涯勉強できる
僕はたまたま音楽を専攻しました。
音楽を学ぶ目的で渡米したわけではありません。
本当に音楽を学びたい人はバークリーに行くでしょう。
でも経済的な理由や、様々な障害があるのも事実です。
そんな人たちにも、激安で勉強できる環境がありました。
コミュニティカレッジは、誰にでも学ぶ機会を与えてくれます。
僕が学んでいた音楽科も、仕事しながら通うのが普通でした。
色んな人が来ていました。
- フルタイムミュージシャンだけれど、理論を学びたい
- パートタイムミュージシャンでスタジオの仕事もできるようになりたいから、初見のクラスで学んでいる
- カントリーシンガーソングライターで、作曲のスキルをアップしたい
- 軍のバンドで演奏していたけれど、リタイアしたので演奏の場を求めて
- 教会の音楽担当の人が即興のスキルを深めるため
…など、20代〜60代まで様々でした。
誰でも行ける小さなカレッジですら、そういう人たちが結構いました。
そんな学校が至る所にあるので、誰でも学びたい時に学べる環境なんです。
みんな必要を感じて来ており、ハングリーでした。
遊ぶ所、というイメージはゼロでした。
またこういう人もいました。
- 基礎や一般教養の単位を安く済ませて、有名校に編入し卒業するため
- 主婦で学びに打ち込む時間があるため
免許証が$10だった
当時はたった$10でした、今は多分$35。
「免許証は$10で取れるから、日本で取らんでいいぞ」
と、渡米前に兄から言われてました。
簡単な筆記テストを受けて、運転のテストだけです。
生活に不可欠なので、簡単に受かるようでした。
貧富の差が激しい社会では、高額な自動車学校など機能しないでしょう。
交通ルールも、英語も分からない僕にとっては辛かったです。
何とか筆記試験を受け、兄にテキトーに路上で運転を教えてもらいました。
最初の路上運転試験では、3ポイントターンのやり方をすっかり忘れていました。
いかつい黒人の試験官に睨まれ、軽く罵られ、うろたえたのを覚えています。
土地柄ならではのファッション
アメリカについてすぐ、兄やおばさんから注意されました。
「ファッションがダサい…」だの「ここではもっと明るい服を着なあかんよ」
と言われました。
ビーチエリアなので、みんなサーフファッションでした。
みんなカラフルなTシャツと半ズボン、ビーチサンダルという格好です。
それで、近くのサーフウェアショップで買いました。
ビーチエリアという土地柄、変かも知れませんが、普通の服屋さんとして機能していました。
Quicksilver、Gotcha、O'neilなどのブランドが、それほど浸透しているんです。
そこではジーンズも売ってました。
驚いたのが…
オリジナルリーバイス501が$19
「何だよ、こんなに安いのかよ」「日本、ぼったくりじゃねえかよ…」
とショックを受けました。
オリジナル501(アメリカ製)、紙みたいにぺったんこなやつです。
最初に洗った時に、10cmくらい
驚異的に縮むやつです。
今ではあり得ませんが、オリジナルが最安でした。
履き込むと体に馴染むので大好きでした。
日本では80年代、8500円か8700円だったのを覚えています。
ディスカウント店では4900円くらいで、僕も高校時代に買ってもらいました。
オリジナル501は普段着の代表のような感じでした。
ファッションと呼べるものではありません。
ショックでした、単純にぼったくられたんだ…と。
僕にとって最初のブランドへの疑問となりました。
日本のイメージ戦略に乗せられないぞ、という芽生えです。
カジュアルすぎる人達
土地柄、堅苦しいのがみんな嫌らしく、超カジュアルでした。
学校にも(ビーチ)サンダルで来る人が多かったです。
お金があってもなくても、どうでもいい感じです。
日本みたいにブランドづくしの人はいなかったです。
僕が疎いだけかも知れませんが、ブランドのバッグは金持ちのおばさんくらいのものでした。
「みんな持っているから、これくらい持たないと恥ずかしい」
というのはありません。
みんな好きな格好をすれば良くって、それに学生はみんな貧乏って感じでした。
CD
CDは$10〜15くらいでした。
当時日本では、2500円とか3000円で販売されていました。
とてもありがたく、しかも家の近くに中古CD屋もありました。
発表されたばかりのタックアンドレスのReckless Precisionは$15でした。
クルセイダーズのThose southern knights、Chain reactionなどは中古で$8で買いました。
予備知識なしに買いましたが、大好きになりました。
これまた「日本はぼったくりだな」と思いました。
ライブ
初めて行ったライブが、家から15分くらいにある、EL CAMINOカレッジです。
カレッジコンサートは安くて、$5でした。
フレディ ハバードのクインテットでした。
確か、ジミー(テナーサックス)とパーシー(ベース)ヒースがいました。
ジャズ初体験で、何が何だか分かりませんでした。
カレッジで会った、クリント エリスという、友達が連れて行ってくれました。
彼とは今も連絡を取り合っていて、アメリカ時代のたった一人の親友です。
この動画はメンバーは違いますが、同時期のものなので良かったらご覧ください。
伝説のドラマー
エルヴィン ジョーンズが我がハーバー カレッジに来ました。
それも$5だったと思います。
当時うちの音楽科は、パーカッションアンサンブルに力を入れていました。
ラヴィ・コールトレーンとサニー・フォーチューンがグループにいたと覚えています。
ぐにゃぐにゃな感じに押し迫ってくる、恐怖に似た興奮でした。
伝説のドラマーに会えて良かったです。
ジョン・コールトレーンのクインテットのアルバムを聴くと、あのいかつい顔を思い出します。
The strand
家から車で5分ほど走った所に、サパークラブ(レストラン兼ライブショー)がありました。
THE STRANDというお店でした、もうありません。
ジャズ、フュージョン系の有名な人たちが出演しており、よく行きました。
チャージは$18〜25です。
2回のショーに別れており、入れ替えする事もありました。
ラリーカールトンの地元なので、毎年観に行きました。
家族や古い友達が来ていたようです。
サニー ロリンズをそこで2回観れて良かったです。
印象的だったのが、タック アンド パティでした。
1stショーに行ったつもりが、アンコールがずっと続いて合計3時間立ちっぱなしで観た覚えがあります。
立ち疲れましたが、お客に応えるサービス精神がすごかったです。
マイルスの追悼バンド(60年代クインテット+ウォレス ルーニー)を観れたのはラッキーでした。
チックコリア エレクトリックバンド、アルディミオラは、僕には良さがあまり分かりませんでした。
その他にも色々と行きました。
毎年、年越しはB.B. KINGのライブでしたが、$100もするので行けませんでした。
ゴルフが1ラウンドが$12だった
ゴルフは興味ありませんでした。
兄が好きで、強制的にやらされて苦痛でした。
夏休みなど毎日のようにラウンドして、次第に慣れました。
日本ではゴルフは1日がかりですが、そうではありません。
至る所にありますし、ランチやシャワーも不要です。
誰でも気軽にやりたい時にできます。
しかも安いのです。
1ラウンド$12くらいでした。
ハーフだと確か$7〜8くらい。
サマータイムか否かで時間が変わりますが、トワイライトタイムというのがあって、半額くらいになりました。
午後遅いのでハーフしか回れません。
ハーフの半額を払って、走って18ホール回れた事もありました。
毎日行ったというのは、半額で安かったからです。
でも仕送りの身なので、僕はしたくありませんでした。
日本とは違い、カジュアルなスポーツ
キャディなんてありませんし、カートも使いません。
ファッションがどうとか、全然気にしません。
ビーチウェアでも許してくれるコースもありました、さすがにサンダルはダメですが…
マーシャル(見回りする人)がいなければ、Tシャツを脱いでました。
後ろに誰も来てなければ、練習したり。
ちょっと洒落たコースでも、ポロシャツくらいでした。
学校の隣にもハーフコースがありました。
要するに、誰でも楽しめるスポーツです。
お金がなくても出来る、だから層が厚いのだと思います。
音楽といい、日本と大きな違いを感じました。
今の値段
検索したら
懐かしいのが見つかりました。
一番安かったコースでも今は$30(平日)、$40(週末)でした。
高額になってしまい残念です。
こちらが
値段表です。
少し洒落たコースが
こちらです。
パロス ヴァーデスという海沿いの丘の上にあり、海に向かって打つ感じが最高です。
値段を調べたら、安かったコースと同じでした。
西海岸に旅行に行かれるなら、絶対おすすめです。
残念ですが、亡くなった伊良部投手が住んでいたエリアでもあります。
こちらはカレッジの隣にある
ハーフのコースです。
ガソリン
日本の約4分の1でした。
燃費の悪いアメリカの車、広大な国です。
これくらい安くないと生活できないんでしょう。
当然セルフで何もかもやります。
日本ではおもてなしに慣れすぎて、いらぬところでチャージされているんです。
ラフでいいから安くしてくれよ、と思ってました。
今やセルフも定着しましたが、値段はまだ高いです。
ラジオ局が音楽ジャンル別に沢山あった
死ぬほどありました。
トップ40、クラッシック、ジャズ、フュージョン、カントリー、ロック、ヘビメタ、クラッシックロック、ラブソングなど…
CDを買えない(それでも日本より随分安い)人でも、ラジオでタダで楽しめます。
日本はFMだと音楽が多い方ですが、それでもトークがあります。
アメリカでは、ほぼ音楽だけという感じです。
ラジオで音楽…よく歌詞にでてくるのは本当にそれが浸透しているからです。
僕も通学時はラジオを聞いてました。
1号線P.C.H.(パシフィック コースト ハイウェイ)を走りながら、クラッシックロック(60〜70年代)のチャンネルを聴くのが好きでした。
今ではポッドキャストを聞く人が多いそうです。
音楽でなく、ドライブの時間を自分投資、勉強しているそうです。
新車には、ポッドキャストがデフォルトで装備されているそうです。
ケーブルTV
MTVはトップ40、VH1も似ているけれど、たまにジャズ系もやってました。
好きだったのは、TNTというカントリーミュージックのチャンネルです。
ESPNやFOXスポーツやアニメ、ディズニー、クリスチャンチャンネルもありました。
僕は言葉が分からないので、TVはあまり観なかったです。
セントラルヒーティング
南カリフォルニアは温暖で、暖房設備は不要だと思うのですが…
少し冷えたかなあと思うと、自動的に床壁が温まります。
臭いもしないし、安全です。
アパートですら完備されてました。
僕の家は灯油ストーブを何台もフル回転していたので、これには驚きました。
北海道では標準らしいですが、ようやく床暖房が普及しつつある日本です。
乾燥機
景観を損ねるので洗濯物を干さず、乾燥機を使うのが習慣でした。
アパートには有料のランドリールームがありました。
一軒家にも必ず乾燥機はありました。
ヘインズTシャツは乾燥機を想定されているらしく、干すと首元がダラダラになってしまうそうです。
店
ファーストフード、コンビニやスーパーなどは24時間営業が普通でした。
ドリンクはSでも日本のLサイズなのに、お代わり自由でした。
夜遅くは出歩かないよう努めてましたが、たまにそれらの店を利用しました。
色んなライフスタイルの人がいるんだと知りました。
それぞれのニーズに対応していてすごいなあと思いました。
ATM
90年にすでに、コンビニやスーパーにはATMがありました。
銀行に行くことは滅多になく、お金はそこで引き出していました。
当時は不景気でした。
$200ドル引き出そうとしても、マシーンに現金がないという事が度々ありました。
治安も悪く、ATMを利用する前後は緊張します。
ヤバそうなやつはいないか?まずチェックです。
出金してからも、車に乗るまで周りをよく見回しながら速やかに動きました。
比較的安全な所に住んでいても、警戒しました。
今思うと怖いです、守られて感謝です。
高校のテニスコート
近くのハイスクールでは、テニスコートが沢山空いていました。
勝手に使っても良く、よく兄とテニスをしました。
誰でも好きなだけ練習できる場所があるなんて…
日本ではコートを予約したり、お金がかかるので、すごいなあと思いました。
サッカーグランドが隣にあり、女子高生が練習していたのを思い出します。
当時サッカーはマイナーなスポーツでした。
女の子がやるスポーツだったのか、男子がやっているのを見た事がありません。
またの機会に
ランダムに雑多な事を沢山書いてしまいました、すみません。
記憶力が悪く、みんなに心配されるほどですが、細かい事ならあれこれありまして…
書き切れないので、またの機会にします。
兄や遊びに来た友人などの話を聞けば、もっと色々と思い出すでしょう。
田舎の若者には刺激でした。
もう一度最初に戻って、感動したのは…
誰にでもチャンスが与えられている
僕のいた南カリフォルニアは、誰にでも機会が与えられていました。
質の差はあります。
しかし、きっかけすら無いという事はありません。
とにかく色々と安かったです。
お金がなくても、十分楽しめます。
今の日本がデフレ続きでそうなのかも知れませんが…
アメリカは本当にチャレンジャー、ドリーマーのための国なんだ、と感動しました。
それが田舎者の僕の気づきでした。
やりたい事をする
日本は戦後から立ち直り、経済的に豊かになりました。
90年はバブル絶頂でした。
浮かれムードでしたが、当時の生活水準を比較すると、不景気だったアメリカの足元にも及ばない、と素直に思いました。
ひいき目なしにそう思いました。
お金がなくても色々な機会が与えられている事に驚きました。
自由に、自分の好きな道を行く、人生はそういうものだという雰囲気でした。
それはきっと僕の住んでいたのが、南カリフォルニアという事もあるでしょうけど。
人目を気にせず、思い通りに生きても許される…いや、むしろそうすべきという空気の中で暮らせた事を感謝しています。
たった一度の人生、やりたいようにやれるなら、やってみたいものです。
それも選択なのです。